「社会と女性と法律と」その15
【1985年(昭和60年)制定 1986年(昭和61年)施行】

~職場における男女の均等な取扱いとは?~

正式名称は「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保に関する法律」
男女雇用機会均等法(以後、均等法)は、職場における男女の均等な取扱いを規定したもので、施行以来何度かの改正を経て、現在では、労働者が性別により差別されることなく、また、働く女性が母性を尊重されつつ、その能力を十分に発揮できる雇用環境を整備することが基本理念とされています。
☆☆☆均等法が生まれた背景は
経済が高度成長期に入った日本は、女性労働者が増え続け、1984年(昭和59年)には女性雇用者数は1,519万人と、1960年(昭和35年)の2倍となりました。
しかし女性の雇用環境をめぐっては、1972年(昭和47年)に「勤労婦人福祉法」が施行されて、育児休業や母性健康管理についての努力義務が定められただけで、女性の仕事を単純作業・補助業務に限定するなど、男性と差別する企業がまだまだありました。
1979年(昭和54年)、国連総会で「女子差別撤廃条約(正式名:女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約)」が採択されました。
この条約は男女平等という基本概念にたって、雇用における男女の機会均等、待遇の平等を目的にしたもので、採用に始まって、配置・昇進・福利厚生・退職等、すべての段階における女性差別の撤廃を求めたものです。
当時日本は労働基準法で男女同一賃金の原則が規定されていた程度で、すべての職場における男女平等を定めた法律はありませんでした。
そこで、日本がこの条約を批准するにあたって、国内法を整備する必要から、労働基準法の改正とセットで「勤労婦人福祉法」を一部改正して男女雇用機会均等法は生まれました。

☆☆☆均等法の内容と問題点は
この法律では、募集・採用・配置・昇進については男女を平等に取り扱うとしながらも、それは事業主の努力義務にとどめられました。
一方、教育訓練や福利厚生、さらに定年や退職・解雇については男女の差別を禁止しました。
女性のみ、もしくは女性優遇という措置は適法としました。つまり真の意味での男女平等という発想ではなかったのです。
さらに、女子労働者からの苦情に対しては、事業主がその解決に努力し、行政もまた事業主と女子労働者の間の紛争について、解決のための助言や指導・勧告、調停などを行うことができると定められました。
つまりこの法律は、勤労婦人福祉法の改正であって、女性のための福祉法ではあるものの、性差別を規制するものではなかったともいえます。
ですから男性に対する機会均等については、関知していないうえ、女性に対しても、例えば、「パート・女性のみ」とか「一般職・女性のみ」という募集や採用が均等法には違反していないと考えられていました。

☆☆☆改正された労働基準法は?
労働基準法には当時、女性保護規定がありました。例えば、時間外労働は1日2時間、1週6時間、1年150時間と制限されていたり、深夜業が原則禁止など、男性とは異なる規制がありました。
これは社会に残る「男は仕事、女は家庭」という伝統的な男女の役割分担意識があったことが影響していたといわれています。
女子差別撤廃条約の批准にあたって、男女平等の観点から女子の保護規定は緩和すべきという考えから改正となったものです。
その内容は、管理職や専門職等は時間外労働の規制が廃止され、深夜業を行うことができる業務も拡大されました。一方で、産後休業が6週間から8週間に延長され、妊産婦の時間外労働や深夜業の制限が新設されるなど、母性保護制度は拡充されました。

☆☆☆均等法のその後
均等法はその後、何度かの改正が行われました。
均等法施行から10年、1997年(平成9年)に最初の改正が行われ、努力義務とされていた、募集・採用・配置・昇進などによる差別がすべて禁止となるなど、あらゆる場面における差別が禁止となりました。
さらに事業主に対し、セクシュアルハラスメント防止措置が義務付けられました。
労働基準法も併せて改正され、管理職や専門職だけでなく、あらゆる女性の時間外・休日労働、深夜業の規制が解消されました。
しかし、改正された均等法も、まだ「女性に対する差別を禁止」するもので、「男女双方に対する差別を禁止」するものではないという批判もあり、2006年(平成18年)の改正で「男女双方に対する差別が禁止」が規定されることになります。

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