「社会と女性と法律と」その11
【1961年(昭和36年)所得税法改正・配偶者控除制度導入】

~見直しがとりざたされる女性就労を巡ってのさまざまな課題~

女性活躍の時代といわれますが、女性の就労を巡ってはさまざまな課題があります。
一見、女性のための制度のように思われる配偶者特別控除制度も、考え方によっては女性の就労機会を抑制するのではないかという視点から、見直しがとりざたされています。

まずは所得税というものを振り返ってみます。

☆☆☆所得税の歴史
所得税法が導入されたのは1887年(明治20年)です。当時の金額で所得が300円以上の高額所得者が対象でした。個人課税ではなく世帯の合算課税で戸主が納税義務者とされていました。その数は全戸数の1.5%ほどで、納税はいわばステータスシンボルとなり、名誉税や富裕税とも呼ばれていたそうです。
税率は1%から3%の低い累進課税で、税収に占める割合はわずか1%ほどでした。

所得税の導入は、理由の一つにまもなく公布・施行される大日本帝国憲法で設置される帝国議会の衆議院に、納税額による選挙制度が予定されていたからでした。

そのため大規模土地所有者(地税の納税義務者)以外にも選挙権を保障して政治参加を認めるためともいわれています。

1890年(明治23年)に行われた日本初の国政選挙では、満25歳以上の男性で国税を15円以上納めている男性にのみ選挙権が与えられていました。

☆☆☆法人課税始まる
民間企業の増加によって、これまで個人所得にのみ課税されていた所得税は、法人所得、公債・社債の利子、個人所得の3種類に分類され、法人所得にも課税されることになりました。1899年(明治32年)のことです。

その後、1940年(大正15年)の改正では法人税法が創立され、法人税は所得税から分離されました。

☆☆☆控除制度始まる
こうして企業が発達すると勤労所得者(会社員として給与が所得の中心)が増加します。そうした人たちへの配慮から生まれたのが、控除制度です。

1913年(大正2年)の税制改正で所得に対する一定額の控除を認める勤労所得控除が導入されました。

税収の中心は、最初は酒税と地租(いまの固定資産税に近いもの)でしたが、経済の発展に伴い、大正時代には所得税がトップを占め、その内訳では法人所得税額が個人所得税額を上まわるようになりました。

第一次世界大戦後は活況を呈した日本経済も、1920年(大正9年)の株式暴落による戦後恐慌に見舞われます。これを受けて政府は税制改革を行い、勤労所得駆除金額を増やし、扶養控除を導入しました。しかし、この対象には妻は含まれていませんでした。当時の家制度の下、妻は扶養対象としても認められていなかったのです。

1923年(大正12年)、関東大震災が起きました。税制はまた改正され、生命保険料の控除が導入されました。

☆☆☆女性と所得税
扶養控除が導入されても、妻は当時の制度の観点からもその対象となっていなかったことは、先ほど紹介しましたが、その妻が対象に含まれたのが、1940年(昭和15年)のことです。

さらに1950年(昭和25年)には、世帯の収入に課税する方式から個人の所得に課税する方式に税制が変更されましたが、妻は扶養控除対象者のままでした。

しかし、当時店主など個人事業者は妻が事業に専従すれば給与相当額が所得から控除できたのに、給与所得者の場合はできないとして、不満が高まり、調整が必要だということで、1961年(昭和36年)配偶者控除を独立させ、扶養控除より少し高い設定にしたのでした。

☆☆☆配偶者控除とは
配偶者控除は、給与所得者の配偶者が年間収入103万円以下の場合(現在)に、一定額の税金を控除するというもので、所得税で38万円、住民税は33万円となっています。

そのためパートなどで働く主婦が、収入を調整して103万円以下にするというのはよく聞く話です。

現在では、さらに配偶者特別控除という制度も設けられ、収入が103万円を超えても急激な負担像とならないように、段階的に納税額が増えるという制度も導入されています。

この」配偶者控除制度は、「女性の社会進出を阻害している」という声も、昨今、女性の地位向上、働き方改革などの議論の中で取り上げられるようになりました。

しかし、この制度はどちらかというとパートタイマーで働く人を対象としたもので、
フルタイムで働くことを希望している女性のためには、その女性が活躍できる環境を整えることが先決といえます。

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