100年の歴史と女性たちDECADE⑰
【2001年(平成13年)~2010年(平成22年) 】
~ 時事 ~
2000年代、それは20世紀から21世紀へと跨る年代。
2000年(平成12年)を目前にし、コンピュータが誤作動をする恐れがあるという、いわゆる2000年コンピュータ問題が心配されたが大きなトラブルもなく、21世紀を迎えたその年、世界を揺るがす事件が起きた。
9.11 アメリカ同時テロ。
ワールドトレードセンタービルに旅客機が突っ込むその衝撃的な映像は、日本ではまさに夜のニュース時間帯であり、テレビ画面を通して生中継された。
その後もバリ島やモスクワの劇場、そしてマドリードの列車爆破とテロが相次ぎ、テロの時代と呼ばれた。
スペースシャトル・コロンビアが打ち上げ直後に爆発、イラク戦争ではフセイン大統領が拘束され、フセイン政権は崩壊した。
2002年(平成14年)にはEU12か国にユーロが導入され、EUの経済発展が期待された。しかし、2008年(平成20年)のリーマンショックで世界は金融危機に陥った。
世界だけではない、日本国内をふりかえれば、2001年(平成13年)は小泉政権発足で始まった。
55年体制崩壊後短命政権が続いた中、小泉政権は5年という長期政権を誇り、郵政民営化など、聖域なき構造改革をスローガンに経済政策を推し進めた。
そんな中で女性たちはどんな時代を生きてきたのだろうか。
1990年代のバブル崩壊をへて、就職難など働く環境は厳しさを増していましたが、
一方で、子育て世代の女性の社会進出が進んでいました。
女性の就業率の特徴といわれたM字カーブ(M字型雇用)の底が緩やかに上昇を始めます。
男女雇用機会均等法が施行された1986年当時、30歳から34歳、いわゆる子育て世代の女性の就業率は48.1%とほかの年代比べて低い傾向でしたが、10年後の2006年には59.7%と10ポイント以上増加しています。さらに10年後の2016年には70.3%まで増加します。
この背景には、企業の雇用政策の変化や、少子化による労働力構造の変化、そして女性の意識の変化などさまざまな理由が考えられますが、女性の働く環境が少しずつではあっても改善されてきたことは間違いないでしょう。
とはいえ、働く女性の姿が当たり前のようになりつつあった時代であっても、男女の賃金にはまだ格差が残るなど、課題もありました。
その賃金の話。
2001年(平成13年)、女性の命の値段が問われる裁判で画期的な判決がでました。
この裁判はトラックにはねられた小学6年生の女児の父親が、トラックの運転手と運転手が務める会社に対し、4000万円の損害賠償を求めたものです。
これに対し東京地裁は、女児の遺失利益を女性の平均賃金からでなく男女の平均賃金額をもとに計算しました。
これまでの判例では、現実の社会において男女の賃金格差がその判決に反映されることを認めてきました。そのため就業前の子供の交通事故においては、男子にくらべて女子の遺失利益額が少額となっていました。
命の値段にまで「男女格差」があったのです。
しかし判決は、子供には様々な就労の可能性があり、現在の男女の賃金格差でもって、その算定に反映させるのは差別につながる。
また、これまで男性が就労していた職業にも女性が進出していると判断したのでした。
男女格差があった賃金ですが、男性の賃金もまた抑制されるという状況がうまれてきます。
例えば、世帯収入という点でみると、この時代、子供のいる夫婦の内、年収が400万円以下の家庭は1997年(平成9年)には33.6%だったのが2012年(平成24年)には43.2%に増加しているという統計もあります。
一方700万円以上の家庭では、30.9%から21.5%へと減少しています。
夫の所得の低下により、女性の就労が家計の点からも必要となっていたといえます。
経済的な理由からの女性の就労は、家庭生活、なかでも子供の成長に大きな影響を与えたのではないでしょうか。
本当なら子供と一緒に過ごしたい時間を、家計を助けるための仕事に使うという女性もいたでしょう。
女性の就業率の増加を受けて、2003年(平成15年)には次世代育成支援対策推進法と少子化社会対策基本法が成立します。
次世代育成支援対策推進法は、次代の社会を担う子供が健やかに成長するための環境整備を進めることを目的とした法律です。
子育ては、もちろん保護者が第一義的な責任を持つわけですが、その基本的な認識のもとで、国の大きな方針にしたがって、地方自治体とともに企業もまた関与することが定められました。
具体的には一定人数以上の労働者を抱える会社は、仕事と家庭の両立のための措置を記載した行動計画を策定し、届けなければならないというものでした。
また、少子化社会対策基本法は急速な少子化の進展という事態に対し、安心して子供を産み。育てることのできる環境を整備し、少子化にはどめをかけることを目的としたものでした。
この法律においても、子育てしながら働きやすい雇用環境の整備が、企業に対して求められたほか、保育サービスの充実や地域における子育て支援体制や、保険医療体制の整備、ゆとりのある教育の推進など、さまざまな施策が求められています。
これを受けて学校教育の現場でも、完全週休二日制のゆとり教育が始まりました。しかし実際には土曜日に塾や習い事のスケジュールをいれる家庭も多く、決して子供にとってはゆとりある生活だったとはいえなかったようです。
この時代に育った子供たちは、その後「ゆとり世代」と呼ばれますが、本来身に着けるべき知識や経験が十分でないといわれることもあったようです。
2002年(平成14年)、初めての日朝首脳会談が開かれました。
北朝鮮のピョンヤンを訪れた小泉首相は、北朝鮮の事実上の国家元首である金正日 朝鮮労働党総書記と会談を行い、二人は「日朝平壌宣言」に署名、国交正常化交渉を再開することで合意しました。
この際北朝鮮側は、日本人拉致の事実を認め、日本側の安否確認に対し、4名の生存を明らかにしました。
2回めの訪朝(2004年)で、北朝鮮側は生存が確認された4人の帰国をみとめ、小泉訪朝の大きな成果となりました。
2003年(平成15年)、健康増進法が施行されました。
小泉政権時代です。
健康が「国民の義務」というのも変な話ですが、健康な国民が増えれば医療費は抑制できますし、医療設備も必要な人に必要な時に提供することができます。
これも小泉流改革の一つでしょうか
法律は、国民の健康維持のために行政をはじめ、医療機関などにもその協力義務が課されました。
また健康予防に力を入れることとなり、特に受動喫煙については、その防止のための措置を公共施設の管理者に求めました。努力義務のため、違反に対する罰則はありませんが、それでも駅をはじめとする公共の場所での喫煙の規制が広がりました。
公共の乗り物などでも以前は、喫煙は当然の権利とばかりに行われていましたが、これを機会に規制が広がり、新幹線などでは最初は禁煙車両が連結されていたのが、その後は禁煙が基本となり、喫煙車両が連結されるといったように社会の喫煙に対する考え方も大きく変わりました。
そういえばこの年、阪神タイガースが18年ぶりにセリーグの優勝を決め、大阪を中心にたいへん盛り上がった年でもありました。
2004年(平成16年)には配偶者特別控除の一部が廃止されました。
これまで妻の収入が103万円未満の場合に配偶者控除と配偶者特別控除が二重に適用されていましたが、配偶者控除のみになり、103万円を超えると特別控除が適用されることで、ダブル適用がなくなったのです。
この特別控除については、結果として女性の収入に制限を加え、社会進出の妨げになっているという声もあり、それにこたえた形となりました。
しかし、少子化は止まりません。
厚生省の2005年(平成17年)の人口動態統計によれば、この年の出生数は106万7000人、それに対し、死亡数は107万7000人となり、差し引き1万人の自然減となりました。
出生数が死亡数を上回るのは1899年(明治32年)の調査開始以来初めてで、出生率も過去最低の1.26となりました。
ところでこの時代は、人々のコミュニケーションのスタイルを大きく変えるものが現れました。
SNSです。
2004年(平成16年)にfacebook、2005年(平成17年)にyoutube、2006年(平成18年)にtwitterが始まったのです。
SNSはその後、若い人たちを中心に急速に広がり、それとともにさまざまな社会現象を引き起こすことにもなります。
2005年(平成17年)に個人情報保護法が全面施行され、本人の承諾がないまま個人情報が流用されたり売買されることが禁止されました。
その一方で、SNSを通じて、知らないまに個人情報が流出するなど、あらたな被害も出ることになりました。
2006年(平成18年)、男女雇用機会均等法が再び改正されました。
1997年(平成9年)の改正で雇用環境における全面的な女性差別が禁止され、セクハラに対しても規定の整備などが盛り込まれました。
今回の改正では、男性に対する差別も禁止されることとなりました。
法律全体は、事業主に対して配慮義務から措置義務へと転換され、さらにこれまで差別と規定されにくかった間接差別も禁止されました。
間接差別とは、たとえば労働者の募集にあたっては、身長や体重を要件とすることや、昇進にあたって転職経験が要件とされることなどです。
転勤を条件とすることで、実質女性が自主的にあきらめたり、排除されることがないようにするためです。
女性の働く環境がこうして少しずつ整備されていきましたが、そこで働く男性認識や感覚はまだ旧態依然としたところもあり、2007年(平成19年)には、現職の厚生労働大臣から、「女性は産む機械」発言も飛び出し、国会だけでなく市民の間からも大きな批判の声があがりました。
2008年(平成20年)にはパートタイム労働法が改正されました。
注目すべき点は、業務内容が正社員と同程度のパートタイム労働者には、賃金はもちろん、教育訓練や福利厚生などの機会を正社員と同等に与えるように定めたことです
ところがここでいうパートタイム労働者とは、同じ会社で働くフルタイム労働者に比べて労働時間が短い人のことで、労働時間が同じであるフルタイムパートタイム労働者には適用されませんでした。
このためこの法律の恩恵を受けるパートタイム労働者はわずか数パーセントにすぎませんでした。
パートタイム労働者の問題は、正社員との違いが働く時間でなく、身分の違いであることです。正社員並みの仕事をしているパートタイム労働者がその待遇が正社員とあまりに違うことに不満を抱くケースは数多くありますが、それでも今回の法改正は待遇改善の一歩といえます。
このパートタイム労働者の多くは女性です。
女性がなぜパートタイムで働くのか、男性と同じようにキャリアウーマンとしてバリバリ働いている女性もいますが、家事も育児もこなして、そのうえで、できる範囲で仕事をしている女性も多くいると考えられます。
派遣など、非正規雇用での仕事、パートタイム労働者もそこに含まれるでしょう。
本当は正規雇用で働きたいが、求人が見つからない。という声もあります。
産休・育休後の再就職の厳しさを表しています。
一方で自分のライフスタイルに合わせて、短い時間で働きたいという人もいるでしょう。
どちらにせよ、子育て世代にとって、外で働くということは子育てをどうするかということになります。
働く女性が増えるにつれて保育所の整備が進みました。
なかでも3歳未満児を対象とした保育所が重点的に整備されたのは、母親のニーズに沿ったものといえるでしょう。
認可保育所の例だけをみても、保育所に預けられる児童の数は年々増加していますが、なかでも3歳未満児が占める割合は2000年代はじめは27%程度だったものが2010年(平成22年)には32%を超える数字となっています。
また働く時間帯に合わせて、保育所の開所時間も延長され、2000年(平成12年)当時は10時間以下だった保育所は19%ほどだったのが、2010年(平成22年)には5%を切るなど減少し、その反面、11~12時間という保育所が36.9%から61.6%と急速に増えています。
2009年(平成21年)、政権交代が行われました。
8月に行われた総選挙で民主党が308議席を獲得、戦後初めて野党が衆議院で単独過半数を得ての政権交代となりました。
政権は変わっても日本が置かれている少子高齢化という状況は変わりません
日本の人口は2008年(平成20年)の1億2808万人をピークに減少を続けています。
出生率も下がったままで、人口を維持する2.0にはほど遠いのが現状です。
出生率を上げることも大切ですが、日本の労働力を維持するためには、まずは目の前にあるソース、人材を活かすことが大切ではないでしょうか。
女性の職場復帰もその大切な手段です。
そのためには、職場に復帰しやすい環境づくりがまず求められます。
出産・育児をはじめ、職場環境・待遇、さらには介護の問題まで、働きやすい環境を整えていくことが大切でしょう。
その中でいかに女性を活用していくかが、次の時代の日本にもとめられています。