「社会と女性と法律と season2」
「差別と区別」【その2】
1.「差別と区別」
【関連する法律】
教育基本法・学校教育法
(1947年/社会と女性と法律とseason1Part6)
工場法改正(1929年/Part3)
男女雇用機会均等法(1985年/Part15)
年金法改正(1985年/Part14)
【その1】女性を医者にさせたくない?
【その2】個体差があっても活躍できる?
【その3】女性は女性に厳しい?
その2 個体差があっても活躍できる?
男女の個体差、それを乗り越えて女性は活躍の場を広げてきたと言われている法律も後押しをする形となっているが
本当に乗り越えられてきたのだろうか…
「男女の平等とは何」という問題は働き手になったときに男女の体の差として生まれてくるんじゃないかな。学力だけで分けるのは簡単だけど、一定の職業には男女の個体差がどうしても影響してくるから、学ぶ側から働き手になった時に男女の差が影響してくるんじゃないのかなぁ~
私は大学受験の時にその段階まで考える必要は無いと思うのよね。
医学部がお医者さん養成所って発想が、医学部に入ったから医者になると考えて受験生を採点するという事が、すごく狭苦しい発想だと思っているの。
例えば、ハーバードにあるケネディスクールっていう政治経済を勉強するところには、医者になるために、同時にハーバードメディカルスクールに通っている人もいれば、メディカルの知識をもって行政系に行きたいからメディカルスクールに通っている人もいる。だから、受験の段階でその先まで考えて区別してるってことに、何か納得のいかないものを感じてるのよね。
東大の医学部やハーバードのメディカルスクールに通う学生なら、医学部を出ても、自分の進む道を自由に選べるとは思うけど、そうでない学生もいて、もちろん個々人の力の差によるものではあるけれど、男女の個体差によるところもあるのでは?
男女の個体差の話になると、体力とか子供を産むタイミングとかという話が常につきまとうけれど、やってみてもだめなこと、意欲だけではどうにもならないことっていっぱいあると思う。でも、教育っていう分野はその個体差が限りなくミニマムでいけるはず。だからこそ女性が頑張れるんじゃないの。
(%) | 女子学生の人数 | 合格率(全体) | 合格率(男) | 合格率(女) |
全体 | 46.0 | 13.4 | 12.2 | 15.1 |
国立 | 37.7 | 26.0 | 25.7 | 26.5 |
私立 | 45.9 | 12.0 | 10.7 | 13.8 |
女子の活躍は、大学の合格率という数字に如実に現れている。
学生数そのものではまだまだ男子学生のほうが多いが、合格率となるとそれが逆転する。
大学別に見ると、旧帝大系の国立大学では、男子の合格率が上回っているところが多いが、東大でも文系は女子が30.3%と男子の30.6%に迫っている。
学生数でも地方の県立大学や市立大学の多くは女子が男子を上回ることが多く、外国語大学や教育大学などでもその傾向が見られる。
大学の女子学生の数を見ても、やる気のある女子が増えて、それが数字に反映されているって思うの。
確かにそうですね。その上、先ほどの話に出た様に医学部を卒業した人が、医学とは全く違う世界へ進むということがあるのだから、大学はもう、医学の世界における男女の個体差という区別や差別をする必要がなくなっていると思えますね。
大学は教育という場で、せっかく良い方向に進んできたのに、そもそも、大学そのものが女子を受け入れないという時代もあったんですからねぇ
うんそうそう。
戦前の日本の教育制度においては、女子の大学進学は事実上不可能でした。戦後に生まれた教育基本法は教育の機会均等を定め、教育の場における男女平等を確立、男女共学も認めました。同時に学校教育法も制定されて、女子にも大学への進学の道が開かれ、1947年には20名の女子学生が東京大学に入学しました。(社会と女性と法律、その6参照)
そういう現場で差別をしたっていうことについては、やはり気持ちがおさまらないかな。
する必要のない事をしたってことに対してですよね
医学部へ行きたいっていう人は行けばいい。医療知識を身につけて違うことをやればいい。みんなが医者になるために医学部行くって、そういう発想じゃなくてもいいのにと思ってしまう。専門バカほどだめなものはないような気がするのよね。
人数当たりで見れば、アメリカなどと大きくは変わらないけれど、病床(ベッド数)当たりでみると、ずいぶんと差が開いていることがわかる。
学生たちが卒業後に進む道は、教育する側は社会人という広い括りで考え、教えればいいのではないか。最初から間口を狭くする必要はないとする考え、その教育の現場が世の中から遅れていて、判断を見誤っているとしたら、係数云々、男女差別云々の前に、そのこと自体が大きな問題ではないのだろうか。
その一方で、大学は学業を教えるところであり、就職予備校化するのはどうかという意見があるのも事実。
どちらの意見を持って教育を考えても、社会というものを意識せずにはいられないはず・・・
内容が女性に対する差別撤廃の様な法律の成り立ちって、いくつかの要因の影響があると思う。思想的に男女差別はいけないからきちんと法律を整備しましょう、もそうだけど、工場法みたいに、どうしようもない状態だからとか、GHQによる外圧とか。そういう社会環境や外部環境が実は法律の成立を後押ししている感じがするの。
社会をとりまく現実が法制化を後押ししているっていうことかな
そうそう、絶対必要最低限とか、世界に遅れるなとか
法律の制定って、そっちのほうが早いのかもね
男女平等の考えが明文化されたのは、戦後の新日本国憲法によるもので、教育基本法には、すべての国民は教育を受ける権利があり、性別や身分等で差別されないと書かれている。この背景には、男女平等という思想よりは、GHQによる戦前の日本の教育制度改革という意向がありました。いわば外圧です。
工場法は、当時盛んだった繊維産業の環境や労働条件があまりにも劣悪だったため、そこで働く子供と女性を守るために作らました。これが労働基準法の前身となったのです。(教育基本法は「社会と女性と法律その6」、工場法は「社会と女性と法律その3」を参照)
男女平等の話も、結局は人口減少とかでにっちもさっちもいかなくなって、それが加速要因になるかもしれないって思っている。
1989年に合計特殊出生率が1.57に下がったことをきっかけに、育児支援の動きが社会に広がった。女性が働きやすい環境を整えることで、女性の活躍する場を広げて、将来の人出不足に対応しようという考えだ。
例えば医学部の入試の話も女性に係数かけてたっていうけど、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。医大の存続かかってるでしょっていう話
※学校基本調査より(2018年度大学志願者数は河合塾推定値)
出生率の低下は、当然ながら18歳人口の減少とリンクしている。
大学の受験者数もここ数年は一定の値で止まっているが、以前と比べると確実に減ってきている。私学にすれば学生の取り合いになることが予想され大学は生き残りをかけた戦いを余儀なくされる。
男性の割合が圧倒的に多かった大学の、女子の比率が高くなっているということは、男を蹴落として入ってるということ。
例えば、企業の場合と考えたら、つべこべ言ってる場合じゃない、男だろうが女だろうが優秀な人材がいなければ成り立たない。性別は関係なく優秀な人材がほしいはず。だから社会の流れが自然にそっちにいくのかもしれないですね
それなのにそこの本質に気づいていない企業ほど、まだそういう(差別)ことをやってるだけじゃないのかなって思う。
女性にかかわる法律を振り返ってみると、法律でできることはある程度まで進んできたという感じがしますね。平等といった分野とか。でも現実はそんなにも変わってないんですよね。
そうそう、外圧の部分は少ないかもしれないと思うけど、やむを得ない状況の方はもうなんか目の前にせまっているんじゃないかなってすごく思う。
何か理由があるんでしょうね
あると思うなぁ
それは法律で解決できることじゃないのかもしれないですね
そう、法律の問題じゃない、例えばイギリスだって、ドイツだって女性の首相。でもアメリカはなれなかった。
日本は首相候補にすらなれない