“妻が働く”夫たちの本音 第3回

(後半)

【プロフィール】
M・Yさん 1980年生 37歳 東京都23区出身
小学校から大学までを一貫校で過ごす。
勤務先は一部上場の大手メーカー、現在は人事部で労務管理を主に担当している。
入社以来、総務、監理、人事と移動。
(結婚時の年齢はYさん27歳、奥様は26歳)
子供は現在、9歳(女児)と5歳(男児)

 
こういうシチュエーションで男性は浮気に走るのではないか…
筆者は女性なので短絡的にそう考え及び、聞いてみた。

「マジで、何もかも忘れて没頭するほどに浮気するとか…できたら楽だったかもしれませんね。自分にも後ろめたい感じができたら、もう少し、歩み寄れた? う~ん、わからないけれど、何か、今とは違っていたと思いますよ」

「お酒でも飲めたら、酒の勢いで…なんてこともあったかもしれませんね。まぁ、見事なほど下戸でして、ケーキに沁み込んでいる洋酒でふわふわと気持ちよくなれるくらい飲めないんです。」

逃がしどころの無い感情とストレスに、知らぬ間に心を病んでいったのだという

「後から知ったのですが、母は何となくオカシイとは思っていたが、言い出していいものかと悩みすぐ上の姉に相談していたそうです。昔から一番仲が悪かったと自分で思っていたすぐ上の姉が、小さい頃に勝手に三輪車で遠出して迷子になった時も、自慢の運動神経を駆使して全力疾走で探し当ててくれて連れて帰ってくれたりしていたことを思い出しましてね。ただ、見つけた瞬間『馬鹿ッ!』って言って頭叩かれたことだけを後々まで覚えていて、こういう女は嫌だって。今ならわかりますね、愛情深い人だったってことが」

結局、実家に甘える勇気を持てないまま、件のお姉さんの家へ入りびたり始めたYさん。
お母さんと同じ味の温かいご飯が食べられる、それに惹かれ、結局、娘を保育園にお迎えに行き、娘と二人でお姉さんのところで食事をする日が続いたという。

「『お姉ちゃんのところで飯食わせてもらってきた』
と妻に言ったら、なんて言ったと思います? 
『あら、それは良かったわね、私も一緒に行けば良かった』
ですよ。
『それは違うんじゃないか』
と言い返したら
『あら、私の分はお金払うからいいでしょう』
だって。この辺りで、修復できないのかな、もう、この関係は…と思いましたね」

それでも子供もいる、もう一人生まれる、この結婚を続けるために何かできないか、と悩んだYさんは奥さんと話し合いをすることを選んだ。

「二人で話したいことがある、そう告げたらあっさりと、私もよ、と言われたので、子供を僕の実家に預けて、冷静に話すために外で二人で向き合いました」

Yさんは、今の生活は厳しい、自分が求めていた結婚生活はこういうモノではない、二人目ができたことだし、少し家にいて子育てしながら家事などもしてくれないか、僕が求めていた妻はそういう人なんだ、と心を込めて話したという。

「今の風潮からしたら、最低の男認定でしょうね…。でもね、本心を話し合って生きていくのが夫婦だと思って。ところが妻の本心がここまで自分と乖離していたとは…驚きでもあり、なんでしょうか、聞いた瞬間は笑ってしまいましたね」

Yさんの心の叫びを聞いた奥さんの口から出てきた言葉は

『じゃ、あなたが仕事辞めて、主夫したら。収入はそんなに違わないし、家事も育児も完全に任せられたらもっと稼げるし。産むのは私しかできないから産んであげるから、後はあなたがしてもいいのよ。なんで、私が仕事を辞めるという選択肢しかないの?』

だったそうです。

「笑いながら目の前が真っ暗になりましたよ。その日は娘と二人で実家に泊まりました。妻は誘いたくなかったので、迎えに行ってくると言って、そのまま帰りませんでした」

そして翌朝、起きて、あれ、私もよ、と言った妻の話したかったことって何だろうと気になったというYさん。元来、相手を気遣う優しい男性なのだと感じた。

「実家に娘といても、帰宅しなかったことは気まずいなと感じていたので、メールで聞いてみました。そうしたら『下手なこと言ったら、仕事辞めさせられそうだから…』だって。カッとなって『勝手にしろっ!!』って返信して、電源を切りました。休日だったから、娘をジジババに預け、ひたすら自分だけのために時間を使い、リフレッシュ! しているつもりだったのですが…」

ご両親は心配して、件のお姉さんのところへ相談に行っていたという。

「すごい勢いで姉が来て、『出かけるよっ!』と言って、自分の友達の心のお医者さんへ連れて行かれました。」

時折、血が滲む程爪を噛み、顔の右側がヒクついて、顔が歪み、女性が働く的な話をするときだけ吃音のようになり…
Yさんには、ここまでの症状が出ていたのに、本人は気づかず、奥さんからの指摘もなく…

「あの時、私も話がある、と妻が言ったのは、この症状を伝えてくれようとしたのかな、なんて思ったりしたんですが、結果、違いましたけどね(苦笑)」

通院し、薬を処方してもらい、お姉さんに助けてもらって、何とか平常心を取り戻したYさんを次の悲劇が襲った。

「出産を終えて仕事に復帰したら、勤務地が変わると妻に言われました。出産したばかり、乳飲み子を抱えて新しい土地、しかも僕にも仕事があるから家族では行けない、娘は僕が何とかしたとしても、生まれたばかりの子は連れて行かなければ…どうやって両立するんだ? と聞くと『私が立候補したのよ。どうせ無理って感じでメンバーから外されていたから、敢えて手を挙げて勝ち取った仕事なの』と。夢であってくれって思いましたね。妻の仕事にここまで人生ひっかきまわされるか、と思いましたけど、やはり世間の風潮で、ここで妻に頑張れって言わないのは最低の男、みたいな風に吹かれる日々でしたよ」

奥さんは、さすがに娘のお受験は諦めたが、結局、下の子の出産後10か月で仕事復帰、子供二人を置いて転勤したと言う。

「もう、お互いの価値観の違いを埋めることもできないし、それでも子供はかわいいし。結局、親や姉を頼って、子供二人と生活しています」
「妻の反対を押し切って、購入したマンションは人に貸して、その家賃で、実家も姉の家も歩いて行き来できる場所にマンションを借りて、手伝ってくれる母と姉の負担を少しでも減らして、何とか3人で暮らしています。妻は仕事も順調で、ご満悦。『こうなったら精々実家に頼って、私に負担をかけないで三人で暮らしてくれたらいいわ』と平気で言っています。もう、怒る気も失せました」

今、Yさんを悩ませているのは世間の声だと言う。

「妻を転勤させ、子育てを一手に引き受ける素晴らしい夫的な認定をされて、この取材とは逆の“育メン礼賛”みたいなインタビュー依頼が会社経由で来たりして。もちろん、強固に断っています。正直に「意に反して今の生活をしていますから、お話しできることがありません」って言えたらいいんだけど、会社サイドにかける迷惑や、誹謗などが怖くて、ただ口をつぐんでここまできました」

その結果、心のお医者様にはずっと通い続けているとのこと。

これからの夢や展望を尋ねたら

「せっかくここまでのバランスを何とか作り上げてきたのだから、しばらくは今のままで生活したいです。もちろん、一生このままってわけにもいかないのはわかっています。母親も年ですし、逆に介護をしなくてはならない時も来るでしょうしね…。病院には通い続けているけれど、爪も伸びてきたし、顔のヒクつきも治ったし。やっと、導入剤なしでぐっすり眠れるようになったから、今しばらく、この生活を続けたいですね」

お子さんが二人とも、スクスク育っているのが救いだと言う。

「お話しさせてもらって、かなりスッキリしました。前半がHPにアップされて、Facebookのコメントも見させてもらいました。フラットな意見を書き込んでいただいていたのにも救われています。むちゃくちゃ悪者呼ばわりされるかと思っていたから。」

最後は笑顔を見せてくださったYさんは別れ際にこう言って帰っていきました。

「生活が変わって、また笑えなくなったら、取材に来てください」

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