“妻が働く”夫たちの本音 第3回

(前半)

【プロフィール】
M・Yさん 1980年生 37歳 東京都23区出身
小学校から大学までを一貫校で過ごす。
勤務先は一部上場の大手メーカー、現在は人事部で労務管理を主に担当している。
入社以来、総務、監理、人事と移動。
(結婚時の年齢はYさん27歳、奥様は26歳)
子供は現在、9歳(女児)と5歳(男児)

 
奥様は静岡県磐田市出身。高校まで地元で過ごし、大学で東京へ。
就職後、Yさんと知り合い結婚。

住まいは23区にマンション。
結婚する時に子供2人を前提に、Yさんの親からの融資で購入。
安めのローンくらいの金額を月々、両親に返済している。

車はファミリーカーを1台所有
しかしながら、もっぱら活躍しているのは、前後に子供の椅子を付けた自転車という。
奥さん用とYさん用の2台。

長身のスポーツマン風、一目で仕立てが良いとわかるスーツを着こなし、磨き込まれた靴を履いて、物静かに話すYさん。
「身長ですか? 必ず聞かれますね(笑)187センチあります。高校三年生で既に今くらいだったので目立ちましたし、自分で言うのもなんですが、モテましたよ。男の背の高いのは7難隠すって言うじゃないですか」
30代男性の口から古風な言い伝えを聞いて、なんとなく嬉しくなってしまった50代後半の筆者。きちんと手をかけて育てられた感のあるYさん。

「中学、高校とバスケットをしていました。5歳と6歳年上の姉がいて、すぐ上の姉が驚くほど運動神経が良くて、その弟だから…とものすごく期待されて…」
背は高いわ、運動神経は期待されるわで、バスケットボール部時代は名前の一人歩きがあって精神的に苦しかったという。
「メンタル弱いって言われたらそれまでですが…」
屈強なスポーツマン風という外見からはとても想像のつかないトツトツ、ポツリポツリの言葉が。

今回、彼がこのインタビューに答えてくれることになった経緯を説明すると、なぜ、こんな感じのしゃべり方なのかがよく分かるかもしれない。
筆者の比較的仲のよい友人に心のお医者さんがいる。このコーナーを書かせていただくに当たり、私はその医師に声をかけた。

「僕はエピソードの1つすらも渡せないくらい普通に共働きをしてきたし、本音も何も、申し訳ないくらい何もなんだよね」
と言われ、その代わりに紹介してくれたのが、こちらのYさんだった。
「奥さんが働いていることで、心の病にかかるくらいで…医者じゃない、誰か周りにいる人に大声で主張でもして、君の考え方は別に間違いじゃないよ、って言ってもらったら楽になれるんじゃないかな、って思ってたんだ。丁度いい機会だと思うから聞いておくよ」
そう言ってくれたのである。

3日後、件の医者から連絡があり、インタビューOKということで今に至っている。

「妻も別の上場企業で働いています。大学卒業して就職してこの方、2人の子供を出産した時以外、ずっと働いていますね」
この時の表情から、妻が働いていることが嫌なのが十分すぎるほど伝わってきた。
「全て自分の責任なんでしょうが…甘かったとしか言いようがないですね。」
会社の同僚が高校時代の同級生と合コンをするから参加しないかと誘われ、そこで知り合ったと言う奥様。

「薄いピンクのブラウス、紺色のひざ丈のスカート、飾りのないバレーシューズに、今風に言うと「ゆるふわ巻」のセミロングの髪の毛…。一目で気に入りまして…」
その外見から大人しい、ゴリゴリ感の無い女性と勝手に思い込んで、お付き合いをSTARTさせたという。

付き合っている1年間くらいは、本当に仕事についてあれこれ話すわけでもなく、キャリア志向的な部分は一切見えなく、結婚したら仕事を辞めて家庭に入ってくれると思いこむに十分な様子だったという。

「今、思えば、ただの一度も『仕事を辞めます』とか『専業主婦になります』とか言わなかったなぁ」
若い頃の恋愛は恐ろしいパワーがあるようだ。気づけばでき婚。つわりのひどかった奥さんは、体調不良を理由に会社を・・・

「辞めるのかと思ったら休職したと・・・。『辞めるんじゃないのか?』と聞いた時の顔が怖くて、何か暴れ出しそうな感じがして、胎教に悪いなんて突然、父性が目覚めたかのように黙りました」
出産から6か月の育児の後、保育園を見つけ復職した妻。

「朝は女性の方が準備に時間がかかるから、あなたが保育園に送ってね。お迎えは仕事の様子を見ながら分け合いましょう。食事は私が用意するから、あなたは片付け担当ね…と用意したセリフかの様に滔々と話す妻に『冗談じゃないっ! 僕はそんな生活は嫌だ!!』と大声を出してしまいました」

その大声で子供が起きて、泣き出し、それをあやしに席を立った奥さんが、その席へ戻ることはなく、奥さん発信の決め事を全て受け入れることを承諾したかの様な形で、子供の加わった共働き生活が始まったという。

「食事の用意は私が、という言葉で僕は、毎日、温かい食事が食べられると勝手に思っていました。それなら確かに後片付けくらいしなきゃな・・・とも」
蓋を開けたら…

「冷蔵庫を即座に買い替えなければならないほどの量の宅配の冷凍食品…。それでも、彼女がそれを温めてお皿に移してくれた時はあきらめも含めて何も言いませんでした。」

仕事が立て込んでくると、メールで保育園のお迎えを夫に頼み、Yさんが一人で、離乳食から夕食まで、冷凍食品を温める生活に。

「今どき、料理ができる男子がモテる、家のことくらいするは当たり前、育メンって素敵、そんな風潮じゃないですか。だから、そうしなければ…という強迫観念にも似た気持ちで、半分はいい格好しいな部分で…頑張ってきましたけど」

お子さんが4歳の時にYさんの心が悲鳴を上げたようです。
「なんとなく納得のいかないままに、それでも娘可愛さに頑張ってたんですよ。そうしたら妻に2人目が・・・」

この事実に至るまでの、Yさん夫婦に起きた出来事を伝えるには、相当に文章に注意する必要があるなと感じた。
Yさんは、この時までの生活で、もうこれ以上の自身への生活上の負荷は無理だと思っていたので、子供は一人でいいと思っていたという。
でも、奥さんは違ったようで、後に奥さんがSNSで発信した
「どうしても男の子が欲しくて、夫をチョットだけ騙して二人目作ったけど、すぐ男の子で良かったぁ。もし二人目も女の子だったら、4人くらいまでは頑張ろうかと思ってたから」
という書き込みを目にしてしまい、Yさんの心は音をたてて病の方向へ進んでいった。

「二人目が出来ても仕事は辞めない。その上、娘にお受験をさせるとまで・・・」
これから自分に起こる様々な、意にそぐわない負荷を想像して涙が出たという。

「だれかが心を込めて僕のために作ってくれた温かいご飯が食べたい、そう思ったら気持ちを止められなくなり、実家の母に頼もうと。
でも、そこでなぜか、仲たがいしている不幸な僕を母に見せるのはなぁ、なんて、生来のいい格好しぃが頭をもたげ、結局、すぐ上の姉の家へ行きました」

「家の中では唯一の男の子。母は特別にかわいがってくれて、幸せな日々でしたよ。すぐ上の姉はお話しした通り、運動神経抜群。ずっと体育会系で色気のかけらもないタイプ(笑)。一番上の姉はお勉強がとてもよくできるタイプ。どちらも結婚して、子供もいて、そして働くママで・・・」

頭のいい姉、体育会系の姉、どちらも強烈な個性の持ち主で、Yさんにとって、こういうタイプの女性は嫌だという反面教師だったという。
反対にお母さんは専業主婦で大人しく、人の話をじっくり聞いて優しく話す人なのだと。

「マザコンって妻にもなじられます。マザコンってそんなにダメですかねえ、自分の母親を尊敬していて、大好きで、そういうタイプの女性が好みで、それってそんなにダメですかねぇ、悪いことなんでしょうかねぇ」
すっかり語気粗くなって主張するYさん。

外見がお母さんと似ているから、中身も・・・と思って奥さんを選んだという。

「結局、体育会系でモノをズケズケ言って、あっけらかんとしていた姉が、今見たら、一番ご主人の言うことに耳を傾け、『あなたがそうしたいならどうぞ』って言葉を普通に言ったりしていて。僕に一番無かったのは女性を見る目なのかなぁ」

それは違うと思い
【マッチングが良くなかっただけ。どちらも普通。ただ求めるものが少しズレている相手と結婚してしまっただけのことでしょう】
と伝えさせてもらった。

この連載をするに当たって、制作サイドでかなり話し合った。制作サイドには20代~60代の男女がいる。今はそれが流行りかのように「育メン礼賛」や「お料理上手の男子優遇」のような話ばかりが入ってくる。敢えての「本音」というタイトルなのだから、ステレオタイプのインタビューにしてはいけないのではないかという結論に到達した。どちらがいい、わけでもない。結局、世の中、マッチングなのではないかと。

Yさんの、そして奥さんの、悲劇と努力は続きました。

(後編へ)

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