喚起のしらべ volume5

『子供時代』

喚起の1曲〜小さな竹の橋の下で / バッキー白片とアロハ・ハワイアンズ〜

 
 関西有数といわれる大規模な集合団地で、私は子供時代を過ごした。
甲子園球場からバスで約15分。学校、公園、病院、銀行、役所、スーパーマーケットなど、
生活に必要な要素は全て団地内に収まっている。
まだ広い世界を知らない子供の立場で言うと、何不自由ない恵まれた環境だ。

 団らんタイムや休日の我が家には、いつも音楽が流れていた。
両親は毎月1枚LPレコードを買っていて、ジャズやポピュラー、クラシックなどを
ステレオ・セットで楽しむのが小さな贅沢だったという。
親コレクションの中では珍しく歌詞が日本語で、子供心にもポップに感じたレコードが、
ハワイアンの名曲、バッキー白片とアロハ・ハワイアンズの
『小さな竹の橋の下で(On a Little Bamboo Bridge)』。
1937年にニューヨークの作曲家が作った、アメリカ本土生まれのハワイアン・ポップスだ。
サッチモこと、ルイ・アームストロングの演奏で有名になったそうなので、
おそらくジャズ好きの父は、サッチモ経由でこの曲と出会ったのだろう。

 両親はラジカセにマイクを繋ぎ、レコードに合わせてこの曲を歌っていた。
本当に楽しくて幸せなシーン。無条件で親の無償の愛に包まれ、守られていたあの頃。
今も幸せだけど、あの類の幸せは、子供時代にしか味わえないものだとつくづく思う。

 母が当時よく着ていたのは、何かの懸賞で当たったハワイアンドレスのムームー。
“夢のハワイ”と言われ、豪華ハワイ旅行がクイズ番組の特賞だった’70年代だから
ムームープレゼントがあったのもナルホドね、という感じだ。
こうして私は『小さな竹の橋の下で』と、ムームーで初めてハワイ文化に触れ、
世界は広いと知るのだった。

 とはいえ、現実の暮らしとハワイは遠い。
小さな竹の橋の下に流れる川の水に、夢も思い出も流れてゆくと歌にはあるけれど、
私の知っている橋は、団地と同じコンクリート製。
その橋の下を流れる川は、通称「ドブ川」。
しかも川辺に生えているのは、椰子の木ではなく柳の木。
ちっともハワイアンではない!
それでも精一杯イメージをふくらませ、広場に植えられたソテツの葉をトロピカルだと認定。「パイナップルの木」と呼んでいた。
そんな背景もあり、私の子供時代にハワイアンと団地は欠かせない。

 『小さな竹の橋の下で』を日本に広めたバッキー白片さんは、ホノルル生まれの日系二世。日本におけるハワイ音楽の草分けで、勲章も受章されたレジェンドだ。
“夢のハワイ”だった頃も、ハワイが身近になった現代も、彼の奏でるスチール・ギターは
ハワイの美しい海や、ゆったりとしたムードを連れてきてくれる。
私の場合は、プラス、団地の風景も‥

 その団地は、建物の老朽化と住民の高齢化が進み、最近は再生の道を歩んでいるという。きっと風景は変わってしまうだろうけど、愛がいっぱいの場所であり続けてほしい。
思い出すだけで笑顔になるような、素敵な子供時代を過ごした団地だから。

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