―――長倉さんはアメリカにも滞在されていますよね。そこでも作品を制作されたとか。
はい。2018年の夏から2019年の夏まで一年間、アメリカのサンフランシスコに夫の仕事の都合で滞在していました。その時に「Yellow Slave Trade」という言葉を知って。アジア系女性を対象にした人身売買のことなのですが、19世紀から20世紀初頭にかけて日本人女性が上海やフィリピン、タイ、インドネシア、西アメリカ(主にサンフランシスコ)に売られていたんです。そこで彼女たちは名前を取られ、芸名を使って売春婦として働かされていました。
サンフランシスコには、当時日本から一世として移住してきた移民も多く、そのコミュニティの中で売春宿の経営をしていた人たちもいたそうです。新天地で日本社会のコミュニティを展開させていく中で、売春宿ビジネスが経済的に一役買っていたのは間違いないと思います。
―――恥ずかしながら、その事実を私はいままで知りませんでした。
きちんと語られることもなく、社会からも歴史からも排除されていた存在で、なかったことにされている女性たちですからね。
―――長倉さんのお話を聞いていると、まだまだ埋もれている女性が、過去にも現在にもたくさんいると感じます。この作品を制作するためのリサーチは、実際どのようにされたのですか?
サンフランシスコ市内に、1874年に建てられたキャメロンハウスという建物が現存しているのですがそこを取材しました。当時の中華街に沢山あった売春宿から逃げてきた売春婦たちを匿まい、ケアしていた施設です。キャメロンハウスはまた、1882年にアメリカ合衆国で制定された「中国人排斥法」によってアメリカに入国できなくなった中国人女性たちを受け容れることも目的としていました。
興味を持ったのは、日本の女性運動家として知られる「山田わか」さんが、かつてキャメロンハウスで保護されていた、という事実を知ってからです。
わかさんは1897年、彼女が18歳の時に「渡米すれば高給職につける」と騙されてシアトルに連れてこられ「アラビヤお八重」という名前で娼婦として働かされます。その後、逃亡に成功してサンフランシスコに逃げ延びました。
―――今、キャメロンハウスはどんな形で残されているのですか?
今は中国系コミュニティの方のための施設になっています。私が訪問した時は、沢山の子供達が遊んだり、宿題や勉強をしたりしていました。地域社会に根付いたコミュニティ施設として、活用されているようです。当時ここに避難してきた少女たちの写真や、売春宿で働かされていた女の子たちを助け出すために使われた抜け穴の跡も見ることができました。
―――最終的に写真のコラージュ作品にされたということですが。
リサーチの最中に集めた画像や、当時の地元新聞の記事(日本人女性や、情婦に関する記事など)、自分自身が足を運んで撮影した画像をミックスしてコラージュしました。
'About 160 Birds'
2019年 Pigmented Inkjet Print
©Yukiko Nagakura
―――たくさんの鳥が並んでいるのは?
当時売春婦として働かされていた女性の中に「白人専用」の人がいて、彼女たちは「白人鳥」と呼ばれていたそうです。当時の情婦たちを表すために鳥のモチーフにしました。
コラージュ上は160羽います。昔の新聞記事などをもとにいろいろと調べていくと、1898年までにサンフランシスコで161人の売春婦がいたことになっていますが、目撃情報や人数のデータなどはどれも曖昧な感じです。彼女たちはひとつの場所にとどまることがなく、芸名で働かされていたので個人の特定も難しい。まさにinvisibleな存在として社会の影の部分で生きていたんですね。この「約161人いる(だろう)」と決着がついた(それ以降増加したか減少したのかも不明)にならって、160羽の鳥をコラージュのイメージにつけました。タイトルの’’About 160 Birds’’の’’About’’は「約」という意味と「~について」のダブルミーニングです。
―――長倉さんにとって、アーティスト活動を行う上での根源的なテーマとは何ですか?
「Invisible(不可視)な女性をVisible(可視)に」です。社会的、歴史的に排除、もしくは 隠蔽されてきた女性の存在を可視化させること。隠されてきた女性の存在が、社会に貢献してきたこともあるので、そういう人たちの生き様じゃないけど歴史や痕跡や彼女たちの声を、作品を使ってビジュアライズしていく、というのが私のアート活動のテーマです。