長倉友紀子氏 ※撮影:近藤愛助
長倉友紀子

静岡県出身。2008年から2012年まで四谷アートステュディウム在籍。2017年ベルリン・ヴァイセンゼー美術大学大学院Raumstrategien(パブリックアート)学科修了。ベルリン在住。エコロジーとジェンダーをテーマに、インスタレーションやパフォーマンス作品を主に展開している。
女性を中心に美術史の年表を実験的な方法を用いて制作するコレクティブ:Timeline Projectの運営メンバー。

インタビュー・テキスト: 司寿嶺

2013年にベルリン・ヴァイセンゼー美術大学大学院入学。その間、交換留学生としてエディンバラ芸術大学の写真学科に在籍もしていたという長倉さん。


写真:いくつかの作品が掲示された壁の前に立ち、カメラを見つめる長倉さん

「大学院時代のグループ展にて、自身の作品の前で」 撮影: Alex Hall



大学院ではアートと社会がどう繋がるか、という勉強と、あとは芸術理論を学びました。メディアにおける女性の表象を研究し、イメージの持つ強さや力の特性を利用して、作品制作をしていました。マスメディアの有効性と暴力性についても関心がありました。2015年、ヨーロッパは難民危機のピークを迎えていましたが、日々SNSには目を疑うようなイメージが溢れていました。そのイメージは本当なのだろうけど、それを毎日見ていることで自分の感覚自体も鈍感になり、全然リアルに感じなくなった時があって。写真は本来、真実を伝えるはずなのに、それを消費しすぎると非現実的なものに変容していくという様を見た気がします。

―――大学院の卒業制作は何を?

教授に紹介してもらった「エコフェミニズム」という思想を基に『エコロジーとフェミニズム』をテーマに研究論文を書きました。そこでもメディアにおける女性像は重要な議題になっています。また、同じテーマで映像作品も制作しました。原発事故の後も福島に住み続けている女性たちにインタビューをしたものをまとめて、ビデオインスタレーションとして発表しました。一般のドキュメンタリー映像というよりは、アートの文脈における映像として制作しました。

―――映像を観させていただいたのですが(※通常一般公開はされていないものを今回のインタビューのために個人的に視聴させていただきました)、メディアではなかなか深く取り上げられることのない、女性たちが直面している現実的な問題を浮き彫りにしていて、とても意義がある作品だと思いました。避難所の運営は男性だけで行い、女性は炊事を担当させられるため、女性が必要なもの(女性用トイレ、着替え場所など)が提示されず下着や生理用品が欲しいと言葉にすることすらできなかった、という話が印象的でした。はじめから運営側に女性がいればすべて解決したことなのに。これは現在の日本社会の縮図だと思います。
被災地で増加しているDVの問題や、原発事故の後に放射能の影響を恐れて堕胎した女性の話なども、なかなかメディアは取り上げないですよね。

内容が内容なだけに、いろいろな葛藤が残っている作品になっているなあ、と今見ると思いますね。完全なドキュメンタリー映画でもないし、アート映像でもないし…。
私も初めて知ったことばかりで、本当に驚きました。避難所での出来事などは、本当に経験された方にしか分からないですよね。女性たちへのインタビューを通して、「物事が決定する場において女性に発言権はない」という事実を突きつけられたこともそうですが、「避難所では母と幼児に特別なケアがなかった」というお話も衝撃的でした。正直混乱しましたね。社会は女性をどうしたいの?って。話は聞いてくれない、そして都合の良い時ばかり「子は宝、母は強し」などと言って女性を持ち上げているけれど、いざとなると何もしてくれない。勝手ですよね。

―――本当にそうですね。

堕胎した女性の話についてですが、これは風評被害をまねいたり、ネガティブな印象を福島に植え付けてしまうかもしれないという懸念がありました。実際、何人そういった決断をした女性がいるかは正直分かりません。デリケートすぎる話題です。もしかしたら1人しかいないかもしれない。でも1人しかいないからといって、その決断を迫られた女性の葛藤や苦しみ、その事実はなかった事にはならないですよね。企業やスポンサーなどが付くと、リスク回避からどうしても情報に規制がかかってしまいます。でも私の場合は私個人が関わって発信していることなので、情報の精密さや正しさを伝えることより、彼女達の生の声や、想いみたいなものを残したいと思って制作しました。

―――福島の女性たちは、女性の役割というものがあるからこそ苦しんでいるように見えました。問題は実は昔からあって、それが災害時に顕在化してきたということですよね。見えない女性を可視化したことによって結果的に見えてきたことなのかもしれません。でもその、今まで見えなかった(見ないふりをしていた)問題を見えるようにすることは、女性が生きやすい社会を作っていくうえで必要不可欠なことだと思います。言葉にすることも大切ですよね。そういう意味でも、長倉さんの作品はとても重要だと思います。
本来はメディアが積極的に取り上げていかなければいけないはずなのに、メディアのトップにいるのも男性なので、女性にとっての不自由な構造はそこにもあると思いました。

日本のメディア業界は戦後から変わっていないのではないのでしょうか。大学院在籍中、ゼミの中で日本のメディア業界について発表したことがありました。「記者クラブ」というのがありますけど、あれも男性中心・利害関係を中心に成立していますよね。
「足を踏まれた人の痛みは、踏まれた人にしかわからない」という言葉をたまに聞きますが、まさに「踏んでいる人は、踏まれている人がどれほど痛いか分からない」んですね。社会の中で特権を持った人たちが、(男性女性含みますが) それを持つ事のない人の経験を追体験することは、まさに映画「君の名は。」みたいに、魂と身体が入れ替わらない限り難しいでしょう。
最近は、ジェンダーやフェミニズムについての知識を持つ方も増えてきています。でも、「知識や情報」というのは、やっぱり実際の経験から生まれる感情(悲しみや憎しみ)まではフォローできない。厄介なのは、感情というのは個々によって様々ですから、それこそ可視化することなんて出来ないんですよね。情報として整理することができないから、他人にも伝わりづらいし、共感されにくいという側面もあるように思います。だから理解してもらう為に声をあげたり、活動や行動を通して表していくというのは、とても大事だなと思います。