(左)サンフランシスコで行われたウーマンズマーチ
本人撮影
(右)サンフランシスコでの散歩中の写真
Photo by Takuma Ishikawa
まず、もしそこに行かなかったら、とかって考えるじゃないですか。人は。この機会がなかった自分をパラレルに考えた時に、行った自分と行かなかった自分で、何が違うかなって考えたら、魂の寿命が延びたと思うんです。すっごい元気になって帰ってきたんですよ、私。
―――魂の寿命が延びる、ってすごくいい表現ですね。
千葉で育って東京に住んで、大学を卒業してからもずっと同じ環境でスタジオを借りて、大きな移動を経験していなかったんですよね。自分が想像できる範囲の問題項というのが、やっぱり自分の環境に依存していたんだということを、改めて知ることができたというか。もちろんそれは、「世界は日本より素晴らしかった」という話ではなくて、笑ってしまうくらい単純なんですが、世界は想像していたよりももっとずっと複雑で、もっと考えることもやることもあった。この発見はこれからの自分を生かし続けるな、と思って帰ってきました。
影響を受けた思想家にフランスのロジェ・カイヨワと日本の山口昌男という人がいるのですが、両者に共通しているのは、多方面に横断的な思考を展開し、仕事を残したこと。特定のジャンルの専門家というよりも、独自の眼差しや思考方法を用い、世界や人間の想像力の仕組みにアプローチした人物と捉えています。
カイヨワは、人間の想像力は自然発生的に生まれるのではなく、環境に依拠したものであることを自然科学や文学、芸術などさまざまな視点から展開していることに特に影響を受けました。一方の山口昌男も多様な視点や論があるのですが、「トリックスター」の考察に非常に魅力を感じます。
どちらも人間の想像や風習における神秘なるものにぎりぎりまで近づきアプローチをするのですが、極めて現実的に考えを進めていることに共感しています。
「Dear Snark」を作って以来、日本を出て、定住せずに自分が影響を受けてきたものを横断的に見ていく時間を作りたいと長年思っていました。枠組みを自由に行き来しながら実践を考える彼らの姿勢や思考のあり方は、作品のアイデアを練るときにもとても参考になります。作品を作る以上、ミクロにもマクロにもパラダイムシフトを設定したい、と。とても難しいですが、挑戦しがいのある姿勢に思います。
ウィリアム・ワーズワースの生家、入り口(Rydal Mount, 湖水地方)
本人撮影
産業革命当時の紡績機械(science and industry Museum, マンチェスター)
本人撮影
―――海外にいた約1年間、渡辺さんはどのようなことをされていたのですか?
私の想像力を育んだSF小説や幻想文学、美術が育まれた場所を軸に、産業革命や宇宙開発などによるテクノロジーの変遷と人間の想像力の相互関係をテーマに各地を見て回りました。かつて人々が未踏の地やその地にいるであろう他者、そして地球という枠組みを越えた圧倒的他者としてのエイリアンをどう想像してきたのか、そしてそれらの歴史が生まれた場所は現在までにその地にどういった想像力を与え、残してきているのかをテーマに各地を巡りました。
―――エイリアン?
エイリアンという言葉は、SF映画などでよく登場するエイリアン、宇宙人という意味だけではなく、外国人、在留外国人という意味でもよく使用されてきた言葉です。(現在はmigrantsやnoncitizenなどの使用が進んでいる)
長年、地球外知的生命体探査(SETI…Search for Extra Terrestrial Inteligence) (※60年代から現在まで世界各地の研究所や大学で行なわれている天文学の一分野)に関心を寄せながら人間の想像力というものを考えていました。
地球以外の惑星にも生き物の存在を想像すること自体は古代ギリシアや日本ではかぐや姫など、大昔から行われていたことですが、私の関心の中心にあるのは、なぜ人間の想像力はまだ見ぬ場所や、いるかわからない他者を欲してしまうのかということです。物語ではどうしてもご都合主義的なファーストコンタクトが描かれがちですが、現実世界において生物に起こってきたそれは、ほとんど略奪と殺戮の歴史ということができる。
純粋な好奇心や一見肯定されるべきとされるような大胆さや勇敢さに支えられた冒険物語、虹の向こうやあの山の向こうにきっと何か良いものがあるだろういった境界を越えようという想像力の発生原理は、むしろ現在地への不和や、境界の向こうへ立ち去らざるをえない状況に対する裏返しであったり、自分の存在が他者にとってなにかよりものを導けるような優れた存在であってほしいという傲慢さが潜んでいます。テクノロジーと人間の関係に問いを置き、主題とした物語をSFというのであれば、人間の手わざをはるかに逸脱した産業やテクノロジーへの無意識的恐怖がその想像力を裏支えしているとも言える。
たった一年なので限られた経験ではありますが、外国に暮らすことで自分自身もある意味エイリアンになり、物語と現実に存在するエイリアン、移民の歴史、人間の想像力を横断的にリサーチすることで、圧倒的具体性をもつ、異なるルーツをもった隣人との共存の難しさと、その環境における諸問題への模索や実践を垣間見ました。
また、そういった、現地に行かなければ実感できなかったこととして、自分が日本で影響を受けてきた西洋文化のほとんどは、白人文化のものであったということの発見も大きかったです。
例えば、自分がもともと知っていたギャラリー、美術館、作家のトークイベントに行くと、明らかな人種の偏りを目の当たりにするわけです。特に私が巡ったのが都市部中心だったことも関係するかと思いますが、実際その街は多様な背景をもつ人々によって構成されています。この点に無自覚であったことには非常に考えさせられました。
自分が影響を受けてきたほとんどの物語が主に「開拓した側」の物語であり、「開拓された側」が奪われた物語ではなかったことを受け止めるのはとても長い時間がかかります。というか、今も考え続けています。作品に直接関係してくるには長い時間がかかるかもしれませんが、この事実を丸ごと飲み込んだとき、わたしは日本がやってきたことを自分の言葉でどう語れるのかが問われている気がします。