吉岡春菜氏
吉岡春菜

東京都出身。東京外国語大学外国語学部トルコ語学科卒。在学中トルコを中心にドイツ、ポーランドにもボランティアとして滞在。
卒業後代理店勤務、広島県尾道市でのゲストハウススタッフを経て2016年に渡独(ライプツィヒ)。

インタビュー・テキスト: 司寿嶺
―――女性として生きる上で、日本にいる時とドイツにいる時の感覚の違いはありますか?

日本社会の中にがっつり入っていないからそこまでプレッシャーの中にいたわけではないけれど、でもやっぱり電車に乗れば「あなたはもっときれいにならなければいけない」という類いの広告ばっかりだなと思いますね。女性誌やファッション誌の影響力が強いというか。そもそもこちらでは、そういう雑誌を読んでいる人自体が少ないですね。日本にいる時、待合室とかでコミカルな読み物としてたまに読みますけど、もう、すごく上から目線というか。「これを着なきゃダメ!これがなきゃはじまらない!」みたいな(笑)。女性像の刷り込みがすごいじゃないですか。主婦であろうと、20歳であろうと、何歳であろうとお構いなしに、「できる主婦はこうしなきゃいけない」とか。

―――愛されメイクとかモテメイクとかね。常に受け身であれ、みたいなね。

そうそう。自分が本当にそれをアプライしているかどうかは別として、もうそれが溢れすぎていて、ノイズというか。ドイツにいるとそういうところからの解放は感じますね。変な広告の類もあんまりないし。

―――日本って車内に広告が張り巡らされすぎですよね。電車もバスもタクシーも。

英会話にしろ脱毛にしろ雑誌広告にしろ、市場があるんでしょうけど。ただまあ、社会全体でみればそれに影響されている人たちも目にしますし・・・なんだかなあ、と思いますね。

―――他に感覚の違いを感じたことってありますか?

タトゥーですかね。

―――タトゥー?

日本だと刺青を入れている人とは関わってはいけない、みたいな感覚ありますよね。私は両親が小学校教師だったのでなおさらタトゥーに対する偏見があったんですけど、こっちの人にとっては単なるファッションという感覚なんですよね。ドイツで、子供のサマーキャンプにいた保育士を目指す若い人たちの中でもタトゥー入れている人が多かったし、舌ピアスの人もいてかなり衝撃的でした。
指を折った時に病院に行ったら担当看護士さんの腕いっぱいにタトゥーが入っていて、「鮮やかだな~」と思ったり(笑)。
ただ文化の違いなんですけど、ところ変わればこんなに違うんだなって。日本とドイツを行ったり来たりするたびに感じますね。

―――渡独してからは、ずっとライプツィヒに?

2017年の年末帰省ついでにお金を稼ごうと思ってトルコ語通訳のために愛知県豊田市に滞在したり、尾道に帰ったりはしていましたね。

―――帰る、ってご実家ではなく尾道なんですね。

実家にも一応帰るんですけど、同じレベルで尾道にも帰りますね。

―――帰れるところが複数あるって、なんかいいですね。ちなみに、ワーホリのビザって1年ですよね?

そうなんです。ビザが切れて一度日本に帰って、2018年の5月にライプツィヒに戻ってきたんですけど、その時は観光ビザで入りました。その後語学学校のビザを申請したのですが、私が行く学校が安い市民学校であるがためにずっと先のコースまで日程が出ていなくて、今スケジュールが出ている分しかビザがもらえなくて。だから2018年の12月までしかここにいられないんです。11月に面談に行って、その時に書類を出せばのばせるし、出さなければのびない、みたいな。そんな感じで、なんかぐずぐずした状態ですね、今は(笑)。
※ 取材時は2018年10月

―――春菜さんにとって幸せとは?

希望を持てる状態になることです。今、五里霧中というか、はっきりしない状態なので。選択肢がある状態であるといえばそうなんですけど、未定すぎるといえば未定すぎるので、ちょっと頭が疲れています(笑)。
でもまあ、どうにかなるだろうと。この状態で生きているんだから、どうにかなるだろうとは思います。大変さもあるけど自由さももちろんあるし、急な話にのることができるのは契約も何もないからこそなんですけど、でもちゃんと働いていない状態でもここでどうにか暮らしているのは、安くすませる知恵とかがついてきたからでもあって。
実際に起こっている事柄が同じでも、それに対して希望を持てる人と持てない人がいるわけじゃないですか。同じような状況にあったとしても。気の持ちようというか。精神をよく、うまく保っていられさえすればまわりがなんであろうと、どういう環境であろうと幸せだと思いますね。

―――先が見える状態が、春菜さんにとって希望が持てる状態である、ということではないということですよね。

はい、違います。
私はOLの時働いていたし自分が辞めると言わない限りその職はあったし、月給はたいしたことないけど毎月振り込まれていたわけで、それを希望があるととらえる人もいるかもしれないけど、私にとってそれは絶望でしかなかったので。これは主観ですけど。

―――いまは希望を持てている状態ですか?

持てているといえば持てているけど、まあずっとなんかそんな感じですし、完全に幸せかというとどうなのか・・・(笑)。
でも絶望はしてないです(笑)。予期せぬことが起きると楽しいんです。そろそろ方向転換がくるかな、と思ったりします。

―――今後、全く違う国に行く可能性も?

それもあるかもしれないです。尾道に戻るかもしれないですし。

―――1年後はどこにいますか?

なんにもわからないですね(笑)。
1年後どころじゃないですね。3ヶ月後もわからないです(笑)。

———春菜さんにとって、生きていく上で大切なことは何ですか?

いろんな国の若者が集まって一緒に暮らす、という大学生の時の体験がいまの私のベースになっているのですが、その時思ったのは、なるべく、よくもわるくもいろんな人と会う方を選択しようと。実際に会った人からしか影響を受けてないな、と今のところの感想として思うので、いい人に会えそうな方にいくというか。

―――好き嫌いしないということ?

好き嫌いはしています(笑)。私、人の好き嫌いけっこうありますし、受け付けないなって思った人には最初からトライもしないです(笑)。
なんていうか、よさそうな人のいるところにいく嗅覚というか、そういうことをひっくるめて感覚至上主義というか。会社員になったり辞めたりしたのも、結局自分の感覚に全く沿っていないことを選択したからこその失敗だったなと思いますし。なので、未知のオプションに自分を開いておくというか、いいかも、と思ったことに飛びつけるような状態にしておくことが自分にとっては大切ですね。

―――最後に一言お願いします。

こんなでも生きているということが、日本で切羽詰まっている人に伝わればいいですね(笑)。
あと、尾道をプッシュしておいてください(笑)!




たゆたうように見えつつも決して流されることなく、自身の意思で常に新しい道を進んでいく春菜さん。次は世界のどこでお会いできるのか、楽しみにしています!!