吉岡春菜氏
吉岡春菜

東京都出身。東京外国語大学外国語学部トルコ語学科卒。在学中トルコを中心にドイツ、ポーランドにもボランティアとして滞在。
卒業後代理店勤務、広島県尾道市でのゲストハウススタッフを経て2016年に渡独(ライプツィヒ)。

インタビュー・テキスト: 司寿嶺
―――春菜さんのご出身は?

東京の立川です。高校も八王子だったので、都会のど真ん中よりは西側の方が落ち着きますね。

―――ご出身の東京外国語大学も東京の西側ですよね。

はい。調布市と府中市の間くらいですね。何かの用事で都心の方に行くことはあったけど憧れみたいなものもなかったし、お金使って遊んでキラキラして・・・みたいな女子大生像みたいなものは全く私の中にはなかったので、その立地も気に入っていました。
高校時代、チェコアニメーションが気になっていて。チェコ語もあるし、まわりの環境もよかったので外大がいいな、と思って。

―――あれ?でも、春菜さんが専攻していたのはチェコ語ではなくてトルコ語ですよね?

アニメーションに興味があるというだけでは4年間の勉強のモチベーションがもたないかな、と思ったんです。とりあえず限りなく未知な方向に行きたかったんですよね。ヨーロッパは情報がテレビなりであるし、アジアも違う国とはいえ身近というか。そういう地域をはずして、残るのは中東かな、と。「イスラム教」という宗教の面からも、未知の世界という感じがしましたし。そうなると外大には「アラビア語、ペルシャ語、トルコ語」という選択肢があって、さて何を選ぼうと思った時に、トルコ語は文法が日本語に似ているし、アルファベットを使うのでペルシャ語やアラビア語みたいにいちから文字を覚えなくていいかなと。地理的にもヨーロッパとアジアの間で特別だし、日本との関係も悪くないし、料理も美味しそうだし(笑)。そうやっていくつかのポイントでしぼっていったら、トルコ語が妥当なんじゃないかなと思ってトルコ語学科を選択しました。

―――春菜さんの受験は年代的には9.11よりも後ですよね。

そうですね。私たちの世代は11~12歳くらいの時に同時多発テロがあって、テレビでもイスラム、イスラムって聞き始めた記憶があるくらい。それが動機になってアラビア語とかペルシャ語とか、中東の言語を専攻する友達もいましたね。世界で何が起こっているのか自分で知りたい、ジャーナリズムの方に行きたい、といって。

―――大学在学中にトルコへ?
吉岡春菜氏
3年生が終わって1年間休学したんです。大学の交換留学ではなく自分のプランでとりあえずトルコへ行ってみようと思って、首都のアンカラで2ヶ月間語学学校に通い、その後南東部にあるスィイルトという、トルコ人でもまず行かないような小さな町で開催されるお祭りがあって、そこに外国人ボランティアとして参加しました。いろんな国から来た人たちと共同生活をしてプロジェクトを遂行するっていう。そこに2週間くらい滞在して、次にエーゲ海側のシリンジェ村というところに教育系の財団が運営している数学のためのサマーキャンプ施設があったのでそこへ行きました。
トルコ国外からも数学の教授が来て高校生や大学生に特別授業をする共同生活施設なんですけど、小さな村みたいになっていて。そこで運営の手伝いやキッチンの手伝いとかを2週間くらいしていましたね。
吉岡春菜氏
あと、エジプトとイランに留学していた同期がいたので、エジプトとイランに旅行に行ったり、ポーランドとドイツでも子供のサマーキャンプのスタッフをしていました。あとは、「WWOOF(ウーフ)」ってわかります?

―――ウーフ?

「World Wide Opportunities on Organic Farms(世界に広がる有機農場での機会)」。農家を手伝う代わりに3食寝床が用意される、ワークエクスチェンジみたいなNGOなんですけどいろんな国にあってウェブサイトで検索できるんです。そのウーフを通して1つ、小さい有機農業や牧畜をカップルでやっているエコビレッジがトルコ国内のエーゲ海沿岸、チャナッカレ県のキュチュククユというところにあったのでそこにも滞在していました。2ヶ月間だったかな。

―――ものすごくいろんなところに行って、いろんな経験をしていますね。

今考えると学生の頃はすごく生命力があった気がします。今よりだいぶ動けました(笑)。

―――トルコでの生活はどうでした?

金曜が一番大事なお祈りの日なんですけど、アンカラにいた時は地下鉄のコンコースみたいなところに絨毯が敷かれていて、そこがお祈りの場所になっていました。若者はそんなにお祈りに行かないですけどね。うん、全然行かないですね。50~60代以上の方が熱心にお祈りしている感じでしたね。

―――みんなお酒は飲まない?

飲みます。

―――イスラム教徒なのに?

飲まない人は飲まないですけど、日本で煙草を吸う人と吸わない人の差、みたいな感じです。別に飲むからって石投げられる、みたいなのはないですし。もちろん地域にもよりますけど。トルコでビールもワインも生産していますしね。バーも酒場もいくらでもあるし。行かない人はもちろんそういう酒場には全く行かないし、一滴も飲まない人もいますけど。

―――そんな感じなんですね。

イスラム教徒が大多数の国の中では、アルコールや服装の面ではゆるいといえばゆるいですかね。女の子の露出度はよっぽど日本より高い気がします。

―――そうなんですか!

都市にもよるんですけど。それ、下着見えてるよ?みたいな(笑)。私のまわりにはそういう子が多いかったですし。

―――トルコ人の女性で、ですよね。

はい。都市の大学にいける層の子っていうことでバイアスもかかってるんでしょうけど、でも街中ほんとにバラバラですね。ブルカ(全身を覆うイスラム教徒の女性の服装)の人は増えてきている、と言う人もいますがそんなに大多数ではなくて、トルコ風のスカーフ&ロングコートみたいな、そんなに体の線を出さない感じのスタイルの人と、全く髪も覆わないしなにも考慮しないっていう人と半々くらいですかね。

―――トルコって行ったことないんですけど、街がきれいそうなイメージです。

イスタンブールは歴史もあるし全部入り交じっている感じですね。出稼ぎにくる町なので、宗教的に厳格な人、ギャルみたいな人、お金持ち、貧しい人、何もかもいる感じです。外国人も一番多い都市だと思います。
それに比べるとアンカラは、政治の首都みたいな感じです。現大統領(エルドアン)はイスラム色が強いですけど、エーゲ海沿いのイズミルという町はリベラルというか、反対の野党である政教分離の政党が強くて、結構それをみんな誇りに思っているし、それこそ海辺のまちだしよりいっそう女性の露出度は高いというか。そういう意味ではヨーロッパに近い感じの町ですね。トルコといっても、いろんな街があるのであまりひとくちには言えないですね。

―――それで、日本に戻ったのですか?

そうですね。全部で9ヶ月くらいしてから戻りました。大学に戻って、復学して、卒業しました。

―――卒業後は?

普通に会社員として就職しました。

―――どんな仕事をしていたのですか?

写真や映像素材を販売する代理店で、配属になったのは海外戦略部というところでした。海外からのストックフォトを仕入れたり日本のマーケットに合いそうな写真を選んだり。わりとすぐ辞めてしまったので、ほとんど研修であまりちゃんと働いていないですが、全くOL業が向かなかったですね(笑)。社員の平均年齢も若かったし、既成概念にとらわれない会社ではあったと思うんですけど。

―――春菜さんに、その会社は合わなかった?

ただ単に私が進む方向を見誤ったというか。全く自分に必要ない方向に行ってしまったな、と途中で気づいて。そもそも通勤時間が往復で3時間半もかかるし、体力的にもきついので、ここで続けても意味がないなと思って辞めました。