渡辺泰子氏 Photo by Takuma Ishikawa
渡辺泰子

千葉県出身。2007年武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油画コース修了。映像、羊毛フェルト、写真を中心に複数のメディアを用いて制作、発表。その他の活動として、演劇とのコラボレーション、展覧会企画、エッセイ執筆ほか、アーティストコレクティブとして2015年からSabbatical Company、2018年からは女性を中心に美術史の年表を実験的な方法を用いて制作するコレクティブ「Timeline Project」の運営に関わる。2017年第28回五島記念文化賞美術新人賞受賞。2018年3月より1年間、同財団の助成による研修でアメリカ・イギリスの10都市をめぐる。

―――日本で、女性として生きることで生きにくいと思うことはありますか?

もともと器用に生きてこられたタイプではないので、自分が感じてきた生きづらさは、自分の女性という属性からきているのか、自分の特性からきているのかわからないまま生きてきました。大前提として、どんなふうに生まれてきても、この日本において健全な意味での生きやすさを感じている人がいるのか?ということを考えます。生きづらさはありますが、その理由の全部が女性だからなのかがわからないことが多いですね。自分が選んだすべてのことが生きづらさを生んでいるというように、内側に理由を求めるべきなのか、それとも外部に理由を求めて考察すべきなのか。外部に理由を求めるのであれば、家父長制は大きいと思います。日本の社会システムを作ってきた家父長制が、多くの女性に生きづらさを感じさせているということはあると思いますね。

―――解決法はあると思いますか?

私の寿命の間で具体的にその制度をなくすといったことはおそらくできないけど、とはいえ私がやれることはたくさんあるかなっていう感じでしょうか。生きづらさを感じる理由を作った瞬間の出来事っていうのは、自分の特性や、そこにおける登場人物や状況だけが原因なのではなくて、社会通説や構造がその結果を導いている、と考えた方が問題を解決するとは思います。だから、自分ができることといったら、まずは違和感を見逃さないことだと思ってます。

―――渡辺さんは旧姓でアーティスト活動を続けていますが、戸籍制度の中でいうと、夫婦別姓についてはどう思われますか?

夫婦別姓が可能になったらすぐに手続きをすると思います。
と同時に、別姓を望みつつ、それに抗う行動をせず夫の姓を選んだことは矛盾を抱えているという自覚があります。私にとっての理想の家族形態は、血縁以外の結びつきを含んだ共同体が増幅していくような類のものです。そしてその共同体に血縁や戸籍制度で紐付けされた人々が含まれることもある、という感覚で捉えたほうが、家族という言葉はポジティブに聞こえます。

―――渡辺さんがおっしゃる共同体のポジティブさ、って、すごくわかる気がします。先日読んだ韓国のエッセイで、友人同士の女性2人が一緒に家を買い共同生活をする、という話があって。お互いの両親も巻き込んでいて、これは新しい家族の形だな、って思いました。嬉しいっていったら変かもしれないけど、未来に希望が見えた感じがしました。なんというか、必ずしも現在の日本の法律にのっとった「結婚」という形を取らなくても、気の合う人たちと家族のような共同体で暮らすのって私にとっての理想だなって思ったんですよね。

作品を作る1人の人間として歴史を捉えたとき、時代や国を超えて思想が結ばれていくこともひとつの(家)系図の構築と仮定することができますので、魂の血族を探す旅を生きているような錯覚を覚えることがあります。生物学的な遺伝子の橋渡しや、法による結びつきだけに人生のコミュニティを縛る必要はないと考えています。
美術は寿命を超えたスケールを可能にする文化のひとつですので、自分の作品や活動を通して、制度や風潮の先や裏を見通すような野心は大事にしたいです。

―――それはとても素敵な考え方ですね…!魂の血族…!法や遺伝子による結びつきだけが自分のコミュニティではないという考え方はとても素敵です。素敵しか言ってない(笑)。だってほんとに素敵なんですもん(笑)!
そしていっそのこと苗字なんてなくして名前だけにしちゃえばいいのに、とか思いますよね。

わかる!でも言ってしまえばほんとは名前だって法律で変えられるんですよね、面白いもんですよね。だから私は、結婚する前もした後も、夫婦別姓を望んでいることは変わらないけど、名前なんて変えようと思えばいくらでも変えられるという想像力を持ち続けることを選びました。

―――渡辺さんにとってのロールモデルはいますか?

小説や映画などの物語の登場人物たちが混ざっています。この場面においてこの選択をしたこの主人公、このセリフを言ったこの瞬間のこの人、とか。そういうことが折り重なって自分のビジョンを作ってくれていると思います。
ただ、渡米・渡英中に科学、芸術の分野に関わらずトークイベントやシンポジウムに登壇している女性たちの多さ、進行役としてとして堂々とその場の話を展開させる女性たちの姿を実際に、しかも大量にみたことで、私にとってのロールモデルにいかに実在の女性が足りなくて、私の言葉で語れる日本の女性作家のロールモデルがいないかを自覚しました。サンプルが少ないということは、つまり選択肢が少ないということ。

―――本当にそうですよね。

いまはインターネット空間が加速度的に新しいネットワークを可能にしていますし、社会や文化が国境という区分を越えて展開されているわけですが、一方で美術の世界は現在も白人文化を中心に動いており、アジアの日本人女性であることから逃れることはできないことも一年を通してよくわかりました。今後どのような場所や方法で生きていくにせよ、日本美術のこれからのビジョンを想像するための材料があまりに少ない自分の現状を突きつけられ、これには非常に落ち込みました。なんとかしないと、と思いました。
ですので、タイムラインプロジェクト(女性を中心に美術史の年表を実験的な方法を用いて制作するコレクティブ)を始めたきっかけは、サンフランシスコ滞在中に、一緒にコレクティブを始めることになる長倉友紀子さんと出会ったというのももちろん大きかったのですが、なにより自分が早急に知る必要があると思ったからなんです。

―――そうだったんですね。

私が影響をうけてきた小説は特に50年代から80年代にかけてのアメリカ・ヨーロッパのSFと幻想文学なんですが、やはり多くのジャンルと同様に、作家や物語世界の内容もどちらも非常に男性中心的です。
現在はどんどん状況が変わり、さまざまな作家をみかけるようになりましたしフィクションの世界のアップデートのありかたをそこここに見ることができるようになってきていますが、私が集中的に読んできた時代の物語は、男性の方が物語中の運命を変える選択肢を持っていて、実際に物語の進行を変える行動をするわけです。そしてヒロイン女性は、主人公にとって存在感を示しつつも、基本的に展開への選択肢はもたず、運命に翻弄される。

―――なるほど。

子どもの頃からやんちゃなタイプだったので、女の子らしい遊び、男の子らしい遊び、においてはあまり頓着せずにどちらも吸収してきたから、男の人に自己投影することも当たり前だと思っていて。それこそかっこいい男の主人公をロールモデルにしたりしていました。でも活躍の仕方が物語によって偏っている、ということを10代後半から少しずつ自覚してきて。すべての物語の中に女性がいたにも関わらず、自分がその存在を取りこぼし、無意識のうちに見ないように蓋をしてきたんだ、ということもようやくわかってきた。それは、女性が表に出にくいから、ということよりも、私が物語の男性に対しての自己投影をあまりにも自然にやってきたというか。なんだろう、なんであんなに違和感を感じずにいたんだろう?って(笑)。あまり反省してもしょうがないと思いつつ、まだまだ知ることがある、ということを今は楽しみたいかな。

―――興味もその時々で変わっていくとは思いますが、渡辺さんにとって、表現したいものや伝えたいことの根源にあるものは何ですか?

ひねくれた言い方になるんですが、伝えたいものが根源にあるとは言い辛いんです。芸術は素晴らしいものであるということと同時に、何かを残したい、表現したいという行動って、根源的には生きることへの執着であり、業だと考えます。
だから自分の作品において、「私の一番伝えたいメッセージはこれです」というのは言葉では言い表し辛いといつも思います。もちろんあるんですが、言語的な行為ではないことこそが作品をつくる面白さですので、こういった言葉だけの機会のときこそ作品に対して添える言葉にはとても慎重になります。 自分が関心を持っていることがこの世界に存在していてほしいということにおいては自分の人生をかけていますが、美術作品はただの物質ともいえて、ガラクタになりうる。にもかかわらず、誰かの魂を救うかもしれない。

―――渡辺さんの今後の目標は?

ユーモア。楽しむこと。ジェンダーに特化せずとも、いま社会には様々な問題がありますよね。それらと自分の美術活動をどう共存させられるか。もちろんすべてをカバーできるわけではないけれど、今後は自分が好きなものとか、どうしてもやりたいと思うものをどう世界に存在させられるかという挑戦の時代になる気がしています。 

とても悲しいことですが、いま、あらゆる意味で芸術の存在を社会に証明することが難しくなってきている。その原因はとても複雑で入り組んでいます。
私の思考方法はとてもオルタナティブなものだと思いますが、だからといってアートマーケットを根本から否定するものではありません。むしろこういった思考法をベースに社会における美術のあり方を模索していくことこそに、時代への挑戦があるように思います。
現代は近代以降のさまざまな価値観が問い直され、社会システムや現行のビジネスモデルも日々急速にアップデートされていますが、ある種の「遅さ」が美術の特徴でもありますので、そのスピードの違いを見失わずに腰を据えながら裏をかくような狡猾さも必要だと思います。
現在に対する肌感覚としては、今あるルールにのっとって戦うというよりも、いつでもいたずらのチャンスを窺いその瞬間を見逃さないようにするような体勢の方が可能性を感じますので、現実の葛藤を打破するための一つの方法として、ユーモアってすごく魅力的です。

―――1つ1つの質問に真摯に向き合い、答えてくださった泰子さん。今後の活動も楽しみにしております!