長倉友紀子氏 ※撮影:近藤愛助
長倉友紀子

静岡県出身。2008年から2012年まで四谷アートステュディウム在籍。2017年ベルリン・ヴァイセンゼー美術大学大学院Raumstrategien(パブリックアート)学科修了。ベルリン在住。エコロジーとジェンダーをテーマに、インスタレーションやパフォーマンス作品を主に展開している。
女性を中心に美術史の年表を実験的な方法を用いて制作するコレクティブ:Timeline Projectの運営メンバー。

インタビュー・テキスト: 司寿嶺
―――現在はベルリンで活動されていますが、アーティストとして日本との違いは感じますか?

ドイツではアーティストに人権があると思います。「Künstlersozialkasse(クンストラーソーシャルカッセ)」という健康保険があるのですが、アーティストとみなされた人には国が保険料を半分負担してくれるという制度です。小説家やライターにも適用されます。そこは全然、日本と違いますね。日本でアーティストっていっても「で、どこで何してるの?」ってフリーターみたいな扱いを受けるけど、アーティストとして生きるということが、すごく自然にできる社会だなと思います。

―――生活費を心配せずに作品作りができる環境がある?

というか、お金を使う場所もあまりないですね。日本だと生きているだけで金を使う、みたいな感じじゃないですか。ドイツにはお金がなくても楽しめる場所がある。ギャラリーもたくさんあるし、オープニングも毎週やっていますし。安いビールを買って飲みながら作品について語ったり。そういうことを日本でやろうとすると3000円くらいすぐとんでしまうけれど、そういうことがないですね。

―――日本とドイツで、女性として生きる上での違いはありますか?

ドイツでは、「女性」の前に「人種」という壁もありますね。自分がアジア人の女性であり、馬鹿にされている、下に見られている、ということを感じることもあります。ただ、発言する機会はあるし、話せばきちんと相手が聞いてくれる、そういう土壌がドイツにはありますね。だから、やっぱり圧倒的に日本の方が生きづらいと思います。日本だと、日常的な家族レベルでも女性の発言が軽んじられているし、何かを決定する権利とか、そういうものが与えられていない環境がすごく多いと思います。
「女性だから」とか「女性なのに」という言葉を日常的に耳にしますし、まだまだジェンダー役割の呪いは多くの人の潜在意識にしみ込んでいると思います。もちろん家事をする男性、お金を稼ぐ女性は近年増えていますが、そういった方達が「例外的」な意識を持って会話に出てくる時点で、まだまだ昔ながらのジェンダー役割に皆とらわれているのかなと思います。

―――日本に帰国される際に感じる違和感はありますか?

ありますね。毎回気になるのは、電車内の広告やメディアに出てくる女の子達の「女らしさ」の均一的傾向です。今の日本のヘテロ男性はこういうタイプが好みなのね、こういう女性が今流行っているのね、ってすぐに分かる。その人「個人」よりもまずは「型」が目につく。あくまで個人的な意見ですが日本はLookismが強いと思います。そしてそれが均一的な物差しで計られている。「良いとされている見た目や身だしなみの基準」があって、そこから外れている人は「変な人」とか「非常識」的な人としてみなされている気がします。「普通はね、」という言葉がかなりの力をもって機能しているのが日本社会なのかなと思います。
あと、献血のポスターとか、おっぱいを強調して炎上していたじゃないですか。あれがドイツの街に出るか、っていったら、絶対出ない。出る前に止まるし、ありえないですね。なんであれが世に出ちゃったんですかね?

―――日本の“おじさん”が考えているからですよ。これは比喩的な意味でもあって、つまり日本における大多数のおじさんと同じ価値観でものが作られているからだと思います。

男性目線で作られた男性のためにあるような女性の広告がいっぱいありますよね。広告とメディアの卑猥さがとんでもない。少年漫画の雑誌にも、これはポルノだよね?っていうレベルの漫画が掲載されていたり、そういうのはすごく気持ち悪いなと思います。それがよしとされている社会も問題だと思います。ただ、ドイツでも近年、アジア女性を貶めるようなCMが流れて問題になりました。アジア人女性はヨーロッパ社会の中では特に、力の弱い存在です。CMを制作した会社は、まさか批判が起きると思わなかったのかもしれません。メディアは、社会そのものを写す鏡だと思います。

―――ドイツでも、日本ほどではないとしても、そういった力の弱い立場にいる人に対して想像力が働かないがゆえの、差別的な広告を目にすることもあるのですね。
しかし日本で非常によく起こるこうした問題は、何がだめだかわからないくらい倫理感がない人が意思決定をする場所に権限を持って存在しているということの証ですよね。それを止める人がそこにいない。

そうですね。日本では、いわゆる「男の中の男」的な人たちが良いとしているものが社会の中で力を持っていますよね。経済中心的思考な社会だなというのも気になります。電車なんか1分でも遅れたらイライラするじゃないですか、そういうのって全部、会社や経済活動を中心に生きているからだと思うんです。ベルリンで暮らしていると遅延なんてよくあるし、ストライキを起こして鉄道会社の社員が数日間電車を止めてしまうこともあります。もちろん、他の人たちは大迷惑ですよね。でも『社員の給料上げろ』という鉄道会社の人たちの意思を尊重するし、皆適当に代わりのルートを見つけます。ベルリンに暮らしていると、いろんな人たちが社会の中で暮らしているのが当たり前で、皆事情があるし意思や主張がある、ということが言わずとも理解されているような気がします。日本はそういう意味ではヘテロの日本人男性中心に社会がまわっているので、そこに性的マイノリティや社会的弱者はもちろん、女性の声すら反映されてないように思います。

ーーーおっしゃる通りだと思います。そこを改善していくためには、どうしたら良いと思いますか?

やっぱり教育だと思います。メディアリテラシーとかもそうだし。全然教えないじゃないですか、日本って。性教育もそうだけど。そういうところからしか変わっていかないと思います。
すごくショックだったのが、先日、友達とその子供(女の子)と食事会をする機会があって。その時私の夫は料理を手伝っていて、私は仕事で急ぎのメールを返信しなければならなくてパソコンで作業していたんです。そしたらその子に、「なんでゆっきー(私のこと)は料理しないの?うちのお母さんだったらやるのに。女の人は料理しなきゃいけないんだよ!」って言われたんです。それはジェンダーロールの押しつけだ!と思って。

―――そのお子さんはおいくつなんですか?

6歳かな。「赤ちゃんは?」とかも、私に聞いてくるんですよ。そんな小さい頃からそんなことを思うんだ、ってショックでした。これが日常的に行われているんだと思ったら、ゾッとしました。小さいころから、ジェンダーの多様性を教えていくのが大事だと思います。いちいちやってられない、っていうのもあるかもしれないけど、教育できちんと取り入れたら変わると思うんですよね。

―――そのためには政治家や、教育機関のトップとかにも女性を増やさないと変わらないですよね。

本当にそう思います。
あと、男性にわかってもらうために女性が声をあげ続けることは、やっぱり私は重要だと思っています。本当にわかっていない人が多いから。最近は幸いジェンダーの話題が注目され易くなってきているし、SNSやネットを使っていろいろなことが発信できる時代です。自分が感じている違和感などをパブリックにシェアしていくことで、自分と同じ考えを持った仲間に出会えるはずです。その人たちと一緒に、ただ定期的に話すとかでも良いと思います。社会なんてすぐに変えられるものではないけれど、自分の周りの環境、例えば付き合う人や会う人を変えたり、気の合う仲間を増やしたりしていくことはできると思うんです。そうしたら自然と、自分の周り(社会)が変化して、もしかしたら一人では何もできなかった事案に対して、友達と一緒だったらできる、発言できるという段階にまで自分が変わっていく、ということもあると思います。まずは自分の考えや想いを人にシェアすること、それが第一歩な気がします。

―――長倉さんの今後の目標は?

制作を続けること。展開させていくことです。今後も変わらず、女性問題やジェンダー、そして環境問題にも、自分のアート活動を通して関わっていきたいと思っています。
アクティビズムと、アートが混合する表現や活動はもちろん今までもありましたが、そういった表現を踏まえながら、自分独自の表現の在り方を模索したいなと思っています。
作品の発表だけではなくて、人との交流や議論の場みたいなプラットホーム作りの活動などもやっていきたいと思っています。

―――その時はぜひまたお知らせください!たくさんの興味深いお話を聞かせていただきありがとうございました!!