勝又友子氏
勝又友子

東京都生まれ。
2006年岩手大学教育学部芸術文化課程造形コース卒。2009年渡独。
2015年ドレスデン工科大学美術史バチェラー課程(学部)卒。
2018年現在同大学美術史マスター課程(大学院)在籍中。
ドレスデン日本語補習校講師、同校元校長。
ドイツニュースダイジェストライターとしても活動中。

インタビュー・テキスト: 司寿嶺
―――ドイツで生活しているとみえてくる、日本との違いはなんですか?

ドイツの方は議論が大好きですね。自分の興味でがんがん話すというか、自分が自分が、っていうのはやっぱり欧米の文化だな、と感じますね。

―――日本人って議論しないですよね。貴方の意見に対して私はそうは思わないよ、とか言わないですよね。

ドイツの方は、はっきりと自分の意見は言いますね。ただ、言い方がすごく上手で、相手を傷つけるような言い方はしないです。
あなたの意見は認めるけれども、って一言置いてから自分の意見を伝えますね。

―――政治の話もしますか?

しますね。これは大きな違いですね。
政治的なことが話題にのぼると「日本ではどうなの?」とよく聞かれるので、ドイツに来てからは余計に日本のニュースも、こっちで起こっていることもチェックするようにしています。

―――日本だといまだに政治と野球の話はするな、みたいな風潮あるじゃないですか。あれ、なんなんでしょうね。私は、もっと話したほうがいいと思います。野球はどうでもいいですけど(笑)。

すごくわかります。
大学にいた頃、「こういうことが大切だから署名を集めようと思っているんだ」と信頼している友達に言ったら、
「え?署名って宗教の勧誘とか?」ってすごく嫌な顔をされたんです。
それ以来私は、日本の友達とは絶対に政治の話をしないことにしたんです。まわりの子たちとそういう話は全然できなかったですね。
問題があることは知っているけど波風を立てないために自分からは言わない、という人もいますけど、完全に興味がないっていう人がいるのは驚きますね。自分たちに関わることなのに。
でもこっちにきたら、「パーティ行こうよ」みたいな感じで「デモに行こうよ」って誘われたりしますし、気楽に話せます。ここに住んでいる日本の人たちとも話せるようになりました。
そういう意味でも海外に出てきて外から日本を見られたというのは良かったと思います。私も多分あのまま日本にいたら麻痺していた部分があったかもしれないです。まわりも真剣に受け止めていないし別にこのままでいいのかな、ってなっていたと思います。

―――いま、外から日本をみてどう思いますか?

やっぱり島国なんだな、と思います。外からの情報がそこまで直に入ってこない。
日本って物が豊富で、日本語ですべて情報を得られるじゃないですか。本もすぐ翻訳されますし。
こっちだとそういう便利さがないので、まず言語で知らなきゃいけないというか。その国のことを本当に知らないと情報を得られないので、そういう意味でも外とつながりやすい空間ではあるのかなと思います。ドイツの人たちって、学校で学んだぶんだけで英語がペラペラに喋れるんですよね。 一度、ゲーム好きなドイツ人の子に聞いたら、ドイツ語で自分の好きなゲームができないから英語で調べるしかなくて、自分の好きな物を得るために英語をマスターしたって言っていました。外と触れる環境は日本よりも整っているなと感じますね。

――――女性として生きる上で、両国の違いを感じることはありますか?

女性が弱いとかそういうことではなくて、レディファーストの文化がこちらはすごく強いので、ただの親切として、ぱっと扉を開けてくれたりっていうのは、とても良い気分のまま、ありがとうございます、ってなりますね。
逆に日本に一時帰国すると、前を歩いているおじさんに目の前でばーんって扉を閉められたりして、こっちは重い荷物を抱えているのに扉も開けてくれないのかよ!ってイラッとすることはありますね。この違いはなんだ?って思いますよね。

―――すごくわかります!!

ドイツでは、若い男の子から年配の男性まで、自分が急いでいようがなにしようが、私が後ろにいたら私を先に、ってしてくれます。 こっちで生活していた日本人の男性は、少しは身に付いて優しい方になってるのかもしれないですけど(笑)。
「日本では電車で痴漢が多い」というニュースをきいたドイツ人の男性が、「そんなこと、なんでやるの!?」って、感覚がわからない、女性をそういうふうに攻撃の対象として見る男性がなぜいるのか理解できないと言っていました。 こちらの男性は、女性を女性として、というかひとりの人間として尊重している部分があると感じますね。そこが大きな違いのひとつかなと思います。

―――それですよね、一番大切なのって。人間としてお互い尊重すること。日本ではそういう男性の意識が低い気がしますね。人によるのでもちろん一概にはいえないですけど。

そうですね、それは思いますね。もとから根付いてしまった部分もあるんでしょうね。
すごく優しい男性でもそういう環境の中で育ってしまったらそれが当たり前と思ってしまうみたいに。

―――日本の男性を変えて行きましょう(笑)!

そうですね。意識を変えていきたいですね。一度ドイツに留学して、ジェントルマンになるための留学をしていただいて(笑)。

―――友子さんの将来の夢は?

自分の今までの経験をいかした仕事ができれば、それはすごくやりがいがあると思いますし、幸せに感じると思うので、それによる充実感、達成感を味わいたいなというのはありますね。はい。
あとは、いわゆる典型的な、誰かと結婚して子供を設けて、っていうのに限らずに、今後自分のベースとして、誰かと一緒に暮らして行ける形を持ちたいなっていうのはあります。

―――パートナーみたいな?

そうですね。日本の両親、姉や妹と離れてずっとこっちに1人でいるので、あまりこう、ふらふらするのが、なんかちょっと違和感が出てくるようになってきまして。20代でこっちに来た時はフットワークも軽かったし、いろいろ挑戦してみようという思いがあったんですけど、30代に入ってきてまわりも家族をもつようになってきて、私も今後の将来を考えていけるようなそういうベースがあったらな、って思います。
今、シェアハウスに 4人で住んでいるんですけど、常に人が入れ替わって、ようこそバイバイの繰り返しで、ちょっと落ち着かないな、っていうのもあるので、誰かこう、ずっと一緒にいい位置で保ってくれる、友達とはまた別にそういう存在があればなって。

―――それはドイツで?というイメージですか?

ドイツでもありだなとは思うんですけど、いまのところ 2月以降、修論の目処がついたら日本に帰ろうと思っているので・・・。

―――え!そうなんですか!?10年もいたのに!

はい。そうなんです。
最初は、「ドイツで骨を埋めるぞ!」って意気込んで来たんですけど、最近ドイツ語に限界を感じていまして。

―――そんなにペラペラなのに!?

日常会話や生活に支障はないんですけど、でもやっぱり自分の本当に深いところを研究していくとか、仕事をなにか持つ時に、ドイツ語ではしきれない部分があるというか。 よくよく外から日本をみてみたら、あ、こういう面もあるんだ、私にも入っていける余地があるのかな、というふうなところも徐々に見えてきて。
ドイツで勉強が終わったら日本に帰るのもありかな、とつい半年前くらいから考え始めまして。

―――日本に帰ってからのプランは?

美術史が使える研究機関や、大学の講師はちょっと難しいかもしれませんが美術館や博物館の学芸員にまず応募して、通れば日本のどこかにとりあえず行こうかなと思っています。修士論文を書いている最中に就職活動をして。

―――戻るとしたら、どこですか?

なるべく人が少ないところがわたしはよくて。友人も多く住んでいる東北がすごく性に合うんですよね。
2017年の夏に気仙沼市のリアス・アーク美術館で2カ月間実習をして、すごくいい経験になったので、それも大きいかもしれないです。
気仙沼で美術関係の仕事というのは難しいかもしれないですけど、東北とつながりが保てるといいなっていう思いはあります。
でも一番は、仕事が見つかったところに行って、そこでまた積み重ねていきたいなと思います。

インタビュー時、ご自身の詳細な年表を持参し、ひとつひとつ丁寧に答えてくださった友子さん。とても真面目で何事にも真摯に取り組まれるその姿勢を私も見習わねば!と思いました。今後も多岐に渡るご活躍を楽しみにしております!