勝又友子氏
勝又友子

東京都生まれ。
2006年岩手大学教育学部芸術文化課程造形コース卒。2009年渡独。
2015年ドレスデン工科大学美術史バチェラー課程(学部)卒。
2018年現在同大学美術史マスター課程(大学院)在籍中。
ドレスデン日本語補習校講師、同校元校長。
ドイツニュースダイジェストライターとしても活動中。

インタビュー・テキスト: 司寿嶺

2009年に渡独。再びドレスデンで生活をはじめた友子さん。
しかし希望する美術大学に空きはなく、方向転換を余儀なくされることに。


最初、美大の教授に直接会いに行って席が欲しいって言ったんですけど、大学側がこれまで中途入学希望者を受け入れ過ぎたのでこれ以上は受け入れないという方針転換をはじめたばかりで、断られてしまって。
どうしよう、と思っていた時に「実技ではなくて美術史、理論のほうでいったら?」と語学学校の先生がアドバイスをくれて。まあやってみるか、ということで美大ではなく、総合大学の美術史科に挑戦して応募したら、奇跡的に通ったんです。そして2010年の10月に新学期をスタートしました。
大学を卒業してからこちらへ来る人は、修士から入ったり、学部の途中から受け入れてもらえる場合が多いんですけど、私は美術史をこれまで専攻していなかったので完全にゼロからやりなさいといわれて。6~7歳下の子たちと一緒に学部1年生から入りました。
でもやはり3年間では終わらず、2015年の9月まで在籍していました。その間、1年間は大学を休学して美術館や博物館で実習をしたりもしていましたね。

―――学芸員実習みたいな?

そうですね、日本でいう学芸員実習ですね。こちらでは学芸員資格というものがないんです。そのかわり単位をとるための1つとして、美術史の勉強の中で実習するプログラムがありまして。それに私は多くの時間を割きたかったので、休学して実習に集中する期間を自分で設けました。
それと、別で平行してやっていた仕事も忙しくなってしまって。

―――仕事って?

お金を稼ぐ手段として、日本語補習校で講師を。親の仕事の都合で一時期ドイツに住んでいる日本人の子供たちが、日本語を忘れないようにするための補習校がドレスデンにあるんです。
2010年の8月から2016年の3月まで講師をしていて、そのあと、2016年4月から2018年の3月までそこの校長を・・・。

―――校長!?

人がいなくて。私がならざるを得なかったんです。長いこと講師もしていましたし。教員免許といっても美術の教員免許しか持っていないのですが。校長できる人がいないから、勝又さん、やって!って言われて。
勝又友子氏
―――学生でありながら校長ってすごいですね・・・!それにしても、両親ともに日本人で、一時滞在でも子供は日本語を忘れてしまうんですね。

そうですね。
中には片親がドイツ人、という子供もいますけど、やっぱり友達とのかかわりとか、学校での影響がすごく大きいので、どんどん忘れていきますね。通常はインターナショナルスクールかドイツの現地の学校に通っている子たちなので。 子供たちがおじいちゃんおばあちゃんと日本語で話ができないっていうのは、ご両親にとってはつらいことなんですよね。 また、両親と家で日本語でしゃべっていても、書く方はほとんどしないんですよね。そうすると日本に戻った時に同じ学年の子どもたちの学力に追いついていけなくなってしまうので、週に1回でも国語の時間を持つことが重要というか。小学生が多いので、やっぱり帰国した後の受験戦争が心配みたいですね。
あと、2011年からはじめた日本語での観光ガイドは現在も行なっています。
勝又友子氏
―――すごく多忙ですね・・・! 今現在は?。

大学院の最後の修論に取り組んでいます。今は修士論文を書かなければいけないので校長の方は辞めさせていただきました。
論文はこのあと提出が2月予定で、それが終われば卒業です。単位はもう全部とったので。

―――卒業は何月?

こっちでは、完全に個人に委ねられていますね。一応修士は2年間なんですけど、私の場合は3年目に入っていて、修士論文を次の3月に提出して4月に最後の口頭試問があって卒業になります。こっちでは卒業式がないんですよ。

―――みんなでこう帽子投げたりとか・・・。

ないんです、残念ながら。
大学の事務所に行って、卒業成績出ましたね、って判子を押してもらったら終わり。個人で祝ってください(笑)みたいな。

――論文は何について書いているのですか?

ヨーロッパの災害画についてです。聖書の中の大洪水や、18世紀~19世紀のヨーロッパで描かれた自然災害画について。災害の中でも、火山の噴火と地震ですね。 1755年にポルトガルのリスボンで大地震があって、それがヨーロッパの人に大変衝撃を与え、たくさんの絵や文献の記録が残っているんですね。それに焦点をあてて。 あと火山の噴火、ナポリの近くの、火山灰で町がうまってしまった・・・

――ポンペイ?

そうです。古代ローマのヴェスヴィオ火山の大噴火により1日で消滅してしまった都市、ポンペイの意識がヨーロッパの人々にはあって。
19世紀以降に、それを研究しにポンペイを訪れた史実を、絵を中心にして広げていこうかなと思っています。

―――そのテーマを選んだ背景には、東日本大震災の影響もありましたか?

そうですね、あの時私はもうドイツにいて、いきなりあのニュースが出てきて。大学時代岩手に住んでいましたし東北の友人は多かったので、連絡をとるくらいしか、なにもできなかったんですけどそれがずっと頭に残っていたっていうのが大きいですね。 ヨーロッパと、地震や豪雨が多い日本との、災害のとらえ方の違いにもすごく興味があります。日本の鯰絵(地震なまずを描いた版画)なども比較対象として論文に入れています。