勝又友子氏
勝又友子

東京都生まれ。
2006年岩手大学教育学部芸術文化課程造形コース卒。2009年渡独。
2015年ドレスデン工科大学美術史バチェラー課程(学部)卒。
2018年現在同大学美術史マスター課程(大学院)在籍中。
ドレスデン日本語補習校講師、同校元校長。
ドイツニュースダイジェストライターとしても活動中。

インタビュー・テキスト: 司寿嶺
―――友子さんがドイツに留学することになったきっかけは?

大学3~4年生の頃だったと思うんですけど、私が描いていた絵を見て教授が言った一言がすごくひっかかりまして。
「君の絵は20世紀ドイツの表現主義の絵に近いね」と言われたんです。
どんなものだろうと調べていくうちに、ドイツという国自体に興味を持ったのが最初ですね。
勝又友子氏

「存在の尊貴」勝又友子 2006年 油彩/カンヴァス

―――20世紀ドイツの表現主義には、どんな作家が?

カンディンスキーとか。ドレスデンだとブリュッケ(橋)と呼ばれるグループにいたエミール・ノルデとか。代表格が実はムンクなんです。
ノルウェー人なんですけど、ドイツに留学していたこともあって、ドイツの表現主義の画家に影響をすごく与えた先駆者なんですよね。

―――なるほど。そうなんですね。

それと、大学の第二外国語でドイツ語を選択していたのですが、先生が授業で「ヴァルツ」というドイツの放浪職人制度のビデオを見せてくれたことがあったんです。3年間、手に職をつけたい人が放浪して仕事を見つけなければいけないという制度で。
今このご時世でもこんなに厳しいことに挑戦している若者がいるということ、中世の頃から現在までその厳しいしきたりが続いている国であるということに衝撃を受けまして。別に自分が放浪職人になりたいわけではなくて、こういう制度を作り存続させているドイツという国に対する興味がどんどん大きくなっていったんです。
それで、「ドイツにいこう!」って思いました。

―――友子さんは教育学部卒ですが、もともと教師を目指していたのですか?

はい。
美術の教員になりたくて、教育学部の美術学科に進みました。母親が小学校の教員だったので、その影響は大きかったですね。
小さい頃から教員という職がすぐ身近にあったので。

―――でも教師には、ならなかった?

教養と実技を平行してやる学部でしたので、私は在学中ずっと油絵を描いていて。
教員免許は取得したのですが、卒業するにあたって知識がそれほど・・・
実技ばかりやっていたので、生徒に美術を総合的に教えることができるのだろうか?という迷いがあったんです。
なので教員にはすぐにはならないことにしました。

――大学卒業後は?

大学が岩手だったので、卒業後はいったん東京の実家に帰ってアルバイトをしながらドイツへ行く準備をしていました。
ゲーテ・インスティトゥート東京という機関で週1回1年間、ドイツ語を学びました。
その後、2007年から半年だけ語学の勉強をするためにドレスデンに滞在しました。

――ドレスデンを選んだ理由は?

どこから入っていいのかわからなかったので、その語学学校が提供している留学プランに沿って選びました。
西側だときっと日本人がたくさんいてドイツ語が成長しないだろうし、ちょっと自分に厳しくと思って旧東側でしぼって、ベルリンとドレスデンのどちらかで。ベルリンよりはこじんまりとしていてさらに何も前情報がないドレスデンを最終的に選びました。

―――半年のドイツ生活はどうでしたか?

ドイツ語もまあ伸びて友人がたくさんできて、知らない世界を知るっていうのはとても・・・あ、こんなことがあるのか!とかそういう衝撃をいっぱい吸収して。半年後に帰るということがわかっていたので不安もあまりなく、いろんな体験をして日本に帰りました。

―――その後は日本で何を?

ずっと働いていましたね。
池袋店の世界堂に2年間くらいパートみたいな状態で、でも仕事内容は正社員とかわらない感じで。

―――画材屋さんですよね。その頃もずっと絵は描いていたのですか?

はい。時々展覧会に加わってみたり、応募したりしていました。