渡辺泰子氏 Photo by Takuma Ishikawa
渡辺泰子

千葉県出身。2007年武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油画コース修了。映像、羊毛フェルト、写真を中心に複数のメディアを用いて制作、発表。その他の活動として、演劇とのコラボレーション、展覧会企画、エッセイ執筆ほか、アーティストコレクティブとして2015年からSabbatical Company、2018年からは女性を中心に美術史の年表を実験的な方法を用いて制作するコレクティブ「Timeline Project」の運営に関わる。2017年第28回五島記念文化賞美術新人賞受賞。2018年3月より1年間、同財団の助成による研修でアメリカ・イギリスの10都市をめぐる。

インタビュー・テキスト: 司寿嶺

小さい頃は、ずっと図書館の司書になりたかったんです。


―――そう語る泰子さんはたいそうな読書家だ。哲学にも興味はあったが職業としての想像がつきにくく、将来自分の好きなことを仕事にするためにはどんな選択をすれば良いか、早くから考えていたという。

高校は大学付属の進学校だったので、大学進学→就職という考え方が当たり前の環境にあり、専攻を選ぶことは職種を選ぶことという思い込みがありました。幸い親も好きな勉強をして良いと言ってくれていましたが、そうなると、大学の選択が命取りになるな、と思ったんです。
例えば哲学に興味はあるけれど、自分は研究よりもう少し実践的なことがしたいな、とか、本を読むことは好きだけど、座って本を読んでいるだけでは生きてはいけないな…などなど(笑)。これしかない、といった関心が決められない段階において、レールを絞るのではなく、包括的に関心を担保し続けられるような方向はどこかにないだろうかとずいぶん葛藤した記憶があります。10代なりになかなか答えが出ず、追い詰められていました。そんなとき母が、「あんた絵を描くの好きだったじゃない、絵画教室が近所にできたみたいよ。」と声をかけてくれました。それが大きな契機になって。
手を動かして絵を描くことで実感できたなにかがあったんだと思います。
職業選択のための大学進学というのがピンとこないなか、美術のフィールドでなら、もしかしたら関心が細かく変化したとしても自分なりのありかたで生きていけるのではないかと思い美大に進むことにしました。

―――10代半ばでそこまで見通して、そしてそのとおりに今も美術を続けているって本当にすごいと思います。私が10代の時なんていろんなところから影響を受けてふらふらしていました。その時々の興味で、脈絡もなくあっちいったり、こっちいったり(笑)。

集団行動でうまくやるのがとても苦手だったんです。居心地の悪さと、いろいろなことでどこか気持ちがはみ出してしまう自分への自覚のなか、それでも「なにか」「どこか」は探していた気がします。
美大を目指して美大受験用の予備校に通うことになりましたが、そこで早々に私は絵を描く人間じゃないなって気づくんです。
絵が好きで美術の道に入ったものの、早々に絵の才能はないんだということに気づいて(笑)。ただ、予備校で現代美術というものを知って、ようやくやりたかったことを探し当てた気がしたんです。その後、当時の予備校で、現代美術をやりたいなら油絵科に進学したら?と講師にアドバイスされて。相談したのが他の科の先生だったら違うアドバイスをされたんじゃないかとも思いますが(笑)、じゃあ、現代美術をやるためのプロセスとしてとにかく受験をクリアしよう、と。
受験さえ終われば絵を描かなくてすむようになるんだ、っていうような状態にすでに高3くらいの時になっていました。デッサンは好きだったんですけどね。

―――「絵を描くため」に美大に入ったわけではないということなんですね。でも油絵科に入ったら、油絵を描かされませんか?

描かされません。

―――どういうこと?

大学の、特に1~2年生の間は選択課題をもとに作品を作るのですが、毎回、複数の課題のなかから選択できる仕組みでした。その中に「表現は自由」というのもあるので、そういうものを選択していくことで「表現は油彩のみとする」っていうところからすり抜けていくような方法があるんです。一度最後の足掻きと思い油彩の課題を選択して描いてみたんですけど、やっぱりそこであきらめがついたというか。

ただ、絵画表現から距離をおくようなプロセスは、在学中比較的ゆっくりと踏みました。描けないと思いつつも、表現はいつも二次元空間をベースに考えていたからです。それは今もそうです。なぜ絵が描けないと感じたかの理由にも大きく関わるのですが、なにより作品にとっての最適なサイズっていうのが一体なんなのか、というところに一番躓いたというか、立ち止まったんですよね。
小さなキャンバスに大きく描くのか小さく描くべきなのか、それとも大きなキャンバスに小さく描くべきなのか。そういうふうに、サイズの決定に立ち止まっていた時に、地図の縮尺やスケールを使った作品を作り始めたんです。この時期に始まった問いのようなものは、今でも自分の作品制作のベースになっていると思います。

写真:大きな砂場に描かれたアート作品

big small big small
H10,5 × 389 × 271 cm
mixed media
2005
Photo by Takuma Ishikawa



これは卒業制作で、世界地図を砂で作った作品です。2m×3mくらいあったかな。公園にあるような砂場を作って、そこに砂を入れて。柱材で枠を作ったんですけど、標高は再現せずに、表面は平らにしました。縮尺は、その当時の能力で入手できる柱、木材のスペックから比率を割り出して。

―――潰したら崩れてしまう?

そうですね。搬入=制作、みたいな感じでした。ただの砂だから。
地図って、「この長さを1kmとする」というルールで作られている。そういう縮尺を設定する時に起こる認識の変化に魅力を感じるというか、素朴な面白さだなという感覚があって。それをあまり複雑に表現するのではなくて、手遊び的なものに変換するほうが自分に近いなと思って砂場にたどり着きました。今も昔も、遊びの感覚は自分にとってキーワードになっていると思います。また、再現し続けることが前提な枠組みっていうものが、当時私にとっての救いだったんです。砂場は「完成しない」「再び作られる」ということが担保された、作り続けられる場として存在しているもの。だからそういうアイデアと表現媒体が合致したんだと思います。